静岡県浜松市のコンサルタントの専門家が揃う

NPO東海マネジメント研究会■■■■■■■■■

浜松地域を中心とした、経営・経済・財務・芸術・文化の研究者、実務家、が揃っています。

個人から企業の問題までを研究対象としています。

 

 2009年7月~12月(第58回~63回)

 第63回 2009年12月6日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 浅沼 宏和、 伊藤 賢、 冨田 晋司

  フェルミ推定の概念と応用   浅沼 宏和 

  経営判断において市場規模、ライバル店の売上、 潜在的な顧客の状況などを推測しなければならないことが多い。フェルミ推定は最も有力な方法論であり、ビジネスシーンでよく利用されている。そこで具体的事例を元にしてフェルミ推定のやり方について解説を行った。

  フェルミ推定の概念と応用  伊藤  賢  

  アダム・スミス研究 -道徳哲学と社会科学-  冨田 晋司 

 

 第62回 2009年11月15日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 伊藤 賢、 藤田 良美

  人間工学 ヒューマンエラー  伊藤 賢  

  景東京デザイナーズウィーク報告  藤田 良美  

  国内で、長年に渡り知名度を得ている二つのデザイン展について考察する。東京デザイナーズウィーク(以下TDWと省略)とデザイン・フェスタは、開催目的や参加者の傾向に違いがありながら、醸し出しているエネルギーには共通されたものがある。このエネルギーには、デザインが未来に向け大きな可能性を持っていることを意味している。3年間視察続けているTDWを中心に発表を行なった。

■要旨■

2009.10.31土曜日視察 「東京デザイナーズウィーク2009

19861996年まで、「東京デザイナーズウィーク」の前身が都内にて開催された

1987年〜2004年 毎年10月 「東京デザイナーズウィーク」として毎年開催

200510月より 明治神宮外苑にて毎年5日間開催

会         期    20091030日(金)~113日(火・祝)の5日間。

 本年度より環境省と共同開催する新設のデザインアワード。「2020年までにCO2等の排出量25%削減」という宿題を受け止め、世の中にデザインの力で低炭素型ライフスタイルを 大胆に提案していくコンペティション。

開 催 時 間    11002000(最終入場時間 19:30まで)

ビジネスタイム  11:0017:00 (1030 / 112日の2日間)

         場  明治神宮外苑(東京都新宿区霞丘町2-3 明治神宮外苑)

         催  NPO法人デザインアソシエーションリードエグジビションズUK/環境省(2009

         援  経済産業省(2005〜)

2001年(平成13年)16日の中央省庁再編において、通商産業省(つうしょうさんぎょうしょう、通称:通産省)の廃止に伴いその後継存続機関として新設されたもの。産業政策、通商政策、産業技術、貿易などを所管する。

入 場 者 数  2009年〜2007年の平均入場者数は75,500人であり、年々増え続けている。デザインフェスタの入場者数と比較すると約22,000人多いのだが、開催期間が3日間多い。

NPO法人デザインアソシエーションコンセプト

 デザインがこの国を変えていく、ほんとうにそんなことができるのか。今までなら考えられなかったことかもしれない。ここ数年、既存のカテゴリーに縛られることなく、新しい展開を見せるデザインの世界。リアルに国を変えていける力は、その現場に有るとわたしたちは感じている。自分から発信するほど、可能性は広がる。あなたの才能に出会いたがっている人がいる。デザインアソシエーションは、デザイナー・企業・大使館・メディア・学校をフレキシブルに結び、ジャンルを超え、国を超えて、デザインで社会へ貢献していく運動体、NPOである。

会   長 浅葉克己(株式会社浅葉克己デザイン室/アートディレクター)

代   表 川崎健二(デザインアソシエーション)

副理事長 森 浩生(森ビル株式会社/専務取締役)、佐藤 茂(株式会社CHINTAI/代表取締役会長)

理   事 伊東豊雄 (株式会社伊東豊雄建築設計事務所/建築家)他

国内において対比されるデザイン展示会「デザイン・フェスタ」

 2009.10.24(土)・25(日)の2日間

 デザイン・フェスタ有限会社(渋谷区神宮前)という組織で行われている。

15年前の1994年より、毎年5月と10月に「東京ビックサイト」で行われる大掛かりなデザイン展示会。会期は土・日の2日間であり、2009年の10月で第30回を終えた。入場者数は、約53,000人。

 本年10月の各国参加アーティストは8,500人であり、国際性が豊かな点に特徴がある。アーティストブースは約2,600あり、レストラン、ミニシアター、ショースペースも充実している。テレビ番組や雑誌でも、毎回華やかに紹介をされているため、東京デザイナーズウィーク(以下TDWと省略)と比較すると知名度は高い。

 筆者は鑑賞する際、全てのブースを見ているが、お祭り騒ぎのイメージが強く、学術的な面はほとんどない。10年前、8年前、2年前の合計3回鑑賞をしているが、作品のレベルは玉石混淆である。8年前に、自主出版の本を並べていた大学生と、文学評論家についての会話が高度であったことが1回のみである。そして、研究会の発表らしきものが毎回3ブースほどある。個人のデータとなるが、約18,000人中に68人が学術的な内容、という結果である。

 デザイン・フェスタは、とにかく楽しませてくれるが、おふざけが多すぎることから芸術面が低い印象を受けてしまう。年齢層の幅は広く、父兄同伴とはいえ小学生から90代の高齢者が作品を展示・即売会をしている。デザイン(ファッションも含む)だけではなく、コミック系が目立ち、アート系の作品は2割ほど。出品者でコスプレを楽しむ人が多くみられるため、猥雑さを醸し出している。TDWでは、ほとんど見られない傾向。

TDWは、学生ブース以外は中流以上のものを発表している。TDWは、厳しい審査があるが、デザイン・フェスタは誰でも気軽に参加ができる形式。ブースエリア料金はTDW8倍である。このように、開催目的が異なることから、各特色の違いが見られる。

 共通点としては、「デザインを楽しもう」というエネルギーと、学生によるボランティアスタッフのひたむきさが、観賞後の心地よさを残してくれている。

東京デザイナーズウィーク2009

 

 

デザインフェスタ

   

 

 第61回 2009年10月6日(日) 9:30~12:00

 出席者 :

  秋の遠足 近江商人博物館  

 

 第60回 2009年 9月27日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 浅沼 宏和、 冨田 晋司

  ドラッカー経営学の本質   浅沼 宏和 

 ドラッカーの著作は世界中の経営者に読まれているが生誕100周年を迎えた今日、再評価が進んでいる。そこでドラッカー理論の全体像を概説し、ドラッカー理論の歴史的位置づけ、再評価が進んでいる背景について検討した。結論としてはリーマンショック以後、ファイナンス経済への疑念から経営の本質が問い直されている状況があると考えられた。   

  景浜松創造都市都市協議会の活動開始報告 冨田 晋司  

 

 第59回 2009年 8月30日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 村木 則予、 藤田 良美

  人材関連ビジネスの今 村木 則予 

企業の経営資源のなかで筆頭に挙げられる人材。かつて人材は人脈主体で調達されていた。誰かの親戚だという理由だけで企業は人を採用し、そこそこに使いこなしていた。ところが現在は、人材はお金と手間をかけて採用する時代である。企業風土や求める人物像に合致した適切なスペックの人材を採用するために、いくつかの人材関連ビジネスが生まれてきている。

人材関連ビジネスを大別すると以下の3つになる。1つは人材採用広報。新卒・経験者採用の双方にわたって、インターネット上の媒体や自社サイトでの広報により、企業情報を提供し、そこに魅力を感じた人材の応募を待つ。かつてこの分野は紙媒体が主流だったが、今はインターネット媒体が席巻している。

2つ目は人材紹介。おおむね2年以上の社会人経験を持つ人を対象に、プロフィールを登録し、適切な企業の紹介を行う。人材紹介会社によって得意・不得意分野があるため、転職・就職を希望する人は一般的に複数の人材紹介会社への登録を薦められる。成果報酬型で当該人材の年収の30%程度が就職決定後に人材紹介会社に支払われる仕組み。

3つ目は一般事務、専門職等の人材派遣。大手企業のほとんどが自社グループへの派遣用に子会社として設立。働く側からしてみると派遣のメリットは働く期間の融通が聞くこと。しかし社会的には不安定なため、景気が上向くと正社員希望者が増え、派遣業界は不調になると言われている。

またあまり表舞台には出てこないが、不況になると再就職あっせん会社が活発に活動をして、中途採用市場に大きな影響を及ぼしている。

2007年までの「採用氷河期」は20089月を境に「就職氷河期」に代わり、新卒の就職内定率は7月中旬で58.8%。昨年同期が84%ほどと、20%以上もダウン。バブル崩壊以降、量より質を重視した企業の採用姿勢はここ数年のプチバブル期に多少緩くなったものの、景気の後退を受けて一気に引き締めにかかり、緩さの恩恵にあずかり損ねた今年の就活生に打撃を与えている。

不景気になると人材の動きが緩慢になり、企業も投資をしなくなるので、人材ビジネスはおおむね不調になる。プチバブル期に登場した採用コンサルタント業は片端から業態転換を始めており、派遣業も小さなパイを奪い合っている。ただ前回のバブル崩壊後、就職情報各社はウエブをベースにした就職情報媒体を開発し、不景気明けのプチバブルの時代にそのビジネスモデルが脚光を浴びたように、低迷期の模索から新たなビジネスモデルが生まれる可能性は大いにある。23年後の景気回復期にどんな新しい人材関連ビジネスが登場するか楽しみでもある。

 

  アート展の成功要因 -越後妻有アートトリアンナーレを中心として- 藤田 良美  

アート展の成功とは
-新潟県十日町市と、静岡県2例によるアート展比較-

 現代アート(現代美術)は、現代人には理解しやすい単純な方法である。なぜなら、現代の知識があれば誰でも理解ができるからである。具象表現は見たままになりがちだが、抽象表現の理解は自由であり、飽きることがない。古代から近代の美術作品には、その国の歴史や文化の知識が理解の鍵となるため、楽しむためには専門の知識が必要となる。事例1の成功例(越後妻有アートトリエンナーレ)は、企画者がアートに対して熱い実業家であるアートコレクターと、経営能力のあるアートディレクターの企画による。村祭りの域を出ていない事例2と、盛り上がらない事例3の企画は、アートが専門分野でない市町村の職員による。

成功例/越後妻有アートトリエンナーレ(新潟県十日町市)

 

 

 第58回 2009年 7月11日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 藤田 泰正

  2輪車産業と企業経営1 -丸正自動車製造を中心として- 藤田 泰正 

  1950年代の浜松地域における丸正自動車(ライラック)に光をあてる。その製品は現在でも国内、海外に熱烈な愛好家が存在する。先進的な技術と開発力により、師弟関係にある本田宗一郎と覇を競いながらも61年に倒産に到った要因を経営戦略の視点から検討する。

1950年代の日本おいて、2輪車メーカーは次の4つに類型化できる。①戦前メーカーの再開、②元航空機メーカーの参入、③新人達 ④多角化戦略、である。③は本田技研を代表とする当時のメーカーの大多数であり、彼らの参入理由は多岐にわたる。④は、豊富な経営資源を基に、多角化戦略として2輪車産業に参入した企業である。鈴木式織機(現スズキ)および日本楽器(ヤマハ発動機)を代表とする。52年の生産台数第1位から10位までのメーカーのうち、57年まで存続したのは本田技研を含む4社のみである。その反面、55年からはヤマハ発動機、鈴木自動車工業が登場して上位への進出を開始している。

浜松における2輪車産業の歴史は、48年の本田技術工業株式会社(以後本田技研)の設立に始まる。50年のフレームまでを含む完成車のドリームD型発売により、本格的な「ポンポン・ブーム」が到来する。浜松市役所商工課の資料(1954)に掲載されたメーカー21社に54年に設立されるヤマハ発動機を加えると、52年に製造を開始したメーカーが7社、53年が7社、合計の14社は全体の64%にあたる。しかし、54年までに11社が姿を消している。残ったメーカーも、58年に北川自動車、61年に丸正自動車とロケット商会が退場を余儀なくされた。したがって、62年以降は本田技研(本社は東京)、スズキ、ヤマハの3社のみに集約されたのである。これにより、50年代初めの数年間に発生した企業間競争が極めて熾烈であったことは明らかである。

丸正自動車製造株式会社(以下、丸正自動車)は50年から本格的に2輪車の生産を開始した。ブランド名はライラックであった。社長の伊藤正は本田宗一郎のアート商会で修業し、宗一郎の弟の弁二郎と親しかった。また、鈴木式織機株式会社社長の鈴木俊三とも親交があった。チーフ・エンジニアの溝渕正は、浜松高専において河島喜好(本田技研・第2代社長)と同級生であった。丸正自動車は下池川町、本田技研は山下町にあり、歩いても数分の距離であった。ライラックの特徴はシャフトドライブ機構であった。その理由は第1に、本田技研との差別化を図る。第2は、チェーン駆動の欠点を克服する。第3は、自動車修理によるギア駆動の知識があった、ことによる。その後、LBを発売後、1952年にKD150ccパイプフレーム)、53年にKE200cc)を発表して、全国的な2輪車産業の最前線に登場した。53年には、市内森田町に6,000坪の新工場を建設して、社員は300人に増加した。生産量は600700台/月であった。デザイン部門の強化も積極的に行い、それが結実したのがベビーライラックであった。53年には本社を東京に移した。その後も、先進的なスクーターやフラット・ツインエンジン車などを開発、販売して輸出も行なった。

 しかし、丸正自動車は設立から13年目の611012日に負債総額17億円を抱えて倒産した。その要因としては、①巨額の広告宣伝費、②生産体制の限界、③弱体な販売チャネル、④資金繰りの悪化、を指摘することができる。特に、財務体質は基本的に脆弱であり、過大な広告宣伝費、売掛回収期間の長期化、製造原価低減の未達成、在庫の増加、受取手形の不渡り、などが経営悪化を招いたのであった。

 *本資料は溝渕正氏へのインタビューを基に藤田が作成