静岡県浜松市のコンサルタントの専門家が揃う

NPO東海マネジメント研究会■■■■■■■■■

浜松地域を中心とした、経営・経済・財務・芸術・文化の研究者、実務家、が揃っています。

個人から企業の問題までを研究対象としています。

 

 2008年7月~12月(第45回~50回)

 第50回 2008年12月14日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 伊藤 博

  経営者サイドから考える世界金融危機  伊藤 博

  2008年秋に発生した世界金融危機について、その概要・対応状況・実体経済への影響を把握するとともに、企業経営者としての今後のスタンスを検討した。

 

 第49回 2008年11月16日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 伊藤 賢

  IT統制の実態と課題  伊藤 賢

 

 第48回 2008年10月26日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 浅沼 宏和

  企業内部統制実務の現況  浅沼 宏和 

 金融商品取引法の施行によって上場企業では内部統制の構築を余儀なくされるようになっている。日本の内部統制制度は米国の制度をモデルに導入されたものであるが、米国では1970年代から30年に及ぶ議論の積み重ねがあった。十分な議論を経ないままに導入された制度が抱える諸問題について検討した。

 

 第47回 2008年 9月21日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 杉山 友城

  Porterの競争優位論とクラスター論  杉山 友城 

 

 第46回 2008年 8月23日(日) 9:30~12:00

 発表者 :

  NPO設立記念パーティー 

 

 第45回 2008年 7月27日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 藤田 泰正

   オースティンにおけるクラスター戦略とハイテク産業の創出 藤田 泰正

  近年、日本においても各地域でハイテク産業創出のためのイノベーションクラスター戦略が採用されている。シリコンバレーとオースティンにおける形成、発展要因の比較をふまえて、産学連携型R&D拠点の存在、技術基盤と人材集積など、ベンチャー企業の初期条件が充足されない限り、クラスター戦略は機能しないことを明らかにする。

1970年代までのオースティンは、州都としての行政都市、およびテキサス大学オースティン校(UTオースティン)が在立する大学都市という、複合機能を持つ人口25万人程度の中都市であった。他方、スタグフレーションが激化する1970年代のアメリカにおいて、シリコンバレーは唯一成長を遂げていた。そこでスタグフレーションからの脱却策として、シリコンバレーに象徴されるハイテク産業の創出が提起され、これを全国に普及させることを目的としたCloning Silicon Valley政策が79年に採用された。この州・地方のベンチャー企業の集積促進によるハイテク産業創出策は、テクノポリス政策として策定された。しかし、各州は具体的に州内のどの地域に、どのようなハイテク産業をテクノポリスとして創設すればよいのか、明確な基準が存在しなかった。これに解決の方向性を与えたのが83年設立のMCCMicroelectronics and Computer Technology Corporation)である。オースティンの発展は83年のMCCの誘致、および88年のSEMATECHSemiconductor Manufacturing Technology initiative)誘致から始まった。オースティンのハイテク雇用者数は80年の17345人から2000年には92732人に増加した結果、全米16位の大都市になったのである。

オースティンがハイテク産業を創出できた最大の要因は、誘致に伴ってオースティンにR&D拠点を新設・拡充した既存大企業ではなく、大学と連携したR&D拠点からスピンオフしたベンチャー企業であった。特に、コズメツキーの発案でTCNASCなどのイノベーションクラスターを構成する新しいネットワークが構築され、これらが産学官連携によるインキュベーターATIに統合された点が重要である。ここでは、単に既存組織間に存在する「構造的空隙」を埋めるだけではなく、ビジョンに基づき新たなネットワークを構築し、既存組織だけでは対応できない「構造的空隙」を発見しつつ、その空隙を埋めるという、一段と高度な機能が要求されたのである。この新たに形成されたイノベーションクラスターが機能して、ベンチャー企業の成長が促進され、デルコンピューター、チボリのような成功事例が生まれ、地域経済と雇用に大きなインパクトを与えるようになると、ベンチャー企業の意義を認め、積極的に支援する文化(Entrepreneurial Culture)が地域内において醸成される。それがベンチャー企業の起業・集積を促すという好循環を形成する。この結果、技術、カネ、ヒト、モノ、情報が集積し始め、ベンチャー企業を担い手とする破壊的イノベーションの実現によるハイテク産業が創出されることになった。

 イノベーションクラスターの形成において、一般的にはインフルエンサーがもっとも重要視されている。しかし、オースティンの場合は誘致したR&D拠点であるMCCなどによる技術基盤と人材の集積があり、その新たな組合せによるハイテク産業創出がベンチャー企業の育成支援に向かわざるを得なかった要因こそが重要であった。その意味で、当地域におけるもっとも重要な初期条件は、技術基盤と人材集積にあったといえる。

 日本においても、大学を中心とする各地域でハイテク産業創出のためのベンチャー企業の育成支援を目的とするイノベーションクラスター戦略が採用されているが、オースティンの事例は産学連携型R&D拠点の存在、技術基盤と人材集積など、ベンチャー企業の初期条件が充足されない限り、クラスター戦略は機能しないことを示唆しているのである。

参考文献:西澤昭夫(2007)「クラスター戦略とハイテク産業の創出」西澤昭夫、福嶋路編著『大学発ベンチャー企業とクラスター戦略』学文社p.p.161185 

 

  産業クラスター形成要因 シリコンバレーとオースティンの比較を中心として  村木 則予

 シリコンバレーは北カリフォルニアのシリコンバレーを語る時はずしてはならないのは、スタンフォード大学の存在。同大学のターマン教授が、指導していた二人の学生ニューレットとパッカードに事業化を勧め、資金調達の手配に加え、自らも資金を提供して応援したのがシリコンバレーの始まりとされる(1938年)。大学では、学生の多くはキャンパス内のドミトリーに住み、自転車で生活。この自転車生活圏内(半径15キロ)にヒューレット・パツカード、サン・マイクロシステムズ、ネットスケープ、ゼロックス社パロアルト研究センター、ベンチャーキャピタリストや法律事務所が並ぶサンドヒル通り、シリコンバレーの有名人が住む高級住宅街がある。これが意味するのは大学生が常にビジネスの成功シーンを身近に見ていたという事実である。ベンチャー企業を起こし成功することはここでは当たり前のこととしてとらえられ、わが身に映して現実的にとらえることが可能であった。

シリコンバレーでは、教授や準教授が学生たちを引き連れて起業するのも普通だった。「スタンフォード大学準教授の職をなげうってベンチャーを興し成功させた」と言われるジム・クラーク(シリコン・グラフィックス社創業)は、実際には選りすぐりの優秀な大学院生をスカウトして一緒に起業する目的でスタンフォードに就職したとも言われている。

産業クラスター形成においてコーディネータの重要性が指摘されるが、シリコンバレーのターマン教授の功績を倣ってのものと思われる。1920年代からスタンフォード大学で教員を務め、当時は周囲に技術革新的企業がほとんどなかったために、卒業生は遠く離れた東海岸で就職。頭脳流出の状況を憂い、学生に大学の近くで事業を始めることを薦めたのが、ほかならぬターマン教授であった。

ヒューレット・パッカードの設立を促し、会社設立後も技術的なアドバイスや顧客の紹介など積極的に支援。また戦後は、スタンフォード大学の独自性を確立するためニッチ分野での事業確立を模索。その頃、物理学の教授だったウィリアム・ハンセンとラッセル・バリアン、シガード・バリアンの3名が超高周波用の電子管の発明に成功したのを受け、スタンフォード大学はバリアン兄弟に物理研究所の施設の利用と100ドルの資金提供、その見返りに彼らの発明や特許を共有する契約を締結した。100ドルの投資で数百万ドルの価値のロイヤルティを入手したとされ、これにより、スタンフォード近郊は電子管の巨大集積地に変貌した。

1956年には、トランジスタの共同発明者であるウイリアム・ショックレイがパロアルト市に戻り、ターマンの勧めでリサーチパーク内にショックレイ・トランジスタ研究所を設立したが、研究者の離職が続き、これが幸いしてフェアチャイルド・セミコンダクター社が誕生したと言われている。また1950年代には、優等協調プログラムを開始。企業が優秀な従業員をスタンフォード大学の修士課程に入学させ、企業と大学との強い関係が築かれていった。

スタンフォード大学はスティープルス・オブ・エクセレンスの思想で知られる。中級の教員を低い給与で多く雇用するよりも、少数の最高級の教員を高い給与で雇用する。スティープルとは、ある特定の重要な分野における、きわめて少数の専門家グループを指す。これにより、外部からの多額の資金、有能な学生、若い教員をひきつけ、産業クラスターとしてのシリコンバレーは大きく発展したのである。 

参考文献

シリコンバレー なぜ変わり続けるのか チョン・ムーン・リー他 日本経済新聞社 2001

シリコンバレー創生記 地域産業と大学の共進化 磯辺剛彦 白桃書房 2001

シリコンバレーの天才たち 明日を創る「人」と「場所」 堤大介 光文社 2001
1500平方マイルあまりの細長い地域であり、ポロアルトを中心として北はサンマテオ郡、南はサンタクララ郡までカバーする産業地区。第2次大戦以来、国防、集積回路、パソコン、インターネットの少なくとも4つの主要な技術の波がシリコンバレーを形成してきたとされている