静岡県浜松市のコンサルタントの専門家が揃う

NPO東海マネジメント研究会■■■■■■■■■

浜松地域を中心とした、経営・経済・財務・芸術・文化の研究者、実務家、が揃っています。

個人から企業の問題までを研究対象としています。

 

 2010年1月~6月(第64回~70回)

 第70回 2010年6月10日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 浅沼 宏和、藤田 泰正(第2期活動報告、第3期活動計画)

 情報提供 : 藤田 泰正(シカゴブルースフェスティバル体験記

  シカゴブルースフェスティバル体験記

  簿記再入門  浅沼 宏和  

最近、私が執筆・刊行(データエージェント社)した「管理者必携!簿記再入門」をテキストに、ビジネスにおける簿記的思考について発表した。

テキストの目次
1.そもそも簿記って何だろう?
2.ルール無視の仕訳はNG!
3.会計の仕掛けを知ろう
4.粗利益(売上総利益)のカラクリ
5.簿記から見るビジネスサイクル
6.黒字なのに倒産する?
7.「値引きはタブー」のワケ
8.「給料の3倍稼いで一人前」はなぜなのか?
9.決算書はどうやって読むのか?
10.知っておくと役に立つ決算書の目のつけどころ

本書執筆のモチーフは以下の通り。
①簿記技術は経理の仕事についている者以外詳細に知る必要はない。
②しかし、具体的なビジネス行動は簿記的思考によって理解する必要がある。
③現場レベルでは特に「生産性」に関する視点が必要。

発表では特に、運転資金の意味、値引きのリスク、給料の三倍稼いで一人前の原則の意味の3つに焦点を当てた。

1.運転資金の意味
 利益とキャッシュの違いを生むものが運転資金。計算式では売上債権+在庫-仕入債務で表現される。
 運転資金は売上規模に比例して増える。企業規模がある程度の大きさになると役員の個人財産では賄い切れず、金融機関に頼る割合が増える。したがって金融機関の納得性の得られる財務内容を実現できなければならなくなる。
 売上が急速に伸びると運転資金のバランスが崩れやすい。回収可能性のない売上、売却見込みのない在庫は最たるもので、このような場合でも利益は出るがキャッシュは極端に不足する。これがいわゆる「黒字倒産」につながる。

2.値引きのリスク
 値引きは売上の値引きではなく「利益の値引き」と捉える必要がある。トップ営業マンでも安易な値引きを行う例が良く見受けられる。しかし、より恐ろしいのは「時間の値引き」である。
 景気低迷期は比較的時間に余裕があるため、現場レベルで「おまけ」的な付帯サービスを行いがちとなる。しかし、時間を消費することはコストであり、それに見合った成果を上げずに安易なサービス提供が行われている。私はこの手の時間の消費を「時間の値引き」と呼ぶ。売上高は変わらないものの、必要以上に手をかけることで実質的な値引きが行われているということである。
 「時間の値引き」は中小企業では不可避な側面もあるが、現場レベルの独断で行われるべきものではなく、経営判断によって行われるべきものである。

3.給料の三倍稼いで一人前の原則
 中小企業の黒字企業の労働分配率の平均値はほぼ50~60%程度である。労働分配率は人件費を付加価値で割ったものであり、給料は人件費より少なくなる。
 仮に人件費/付加価値が40%台で合った場合、黒字企業は全社員で平均して2~2.5倍の付加価値を上げていることになる。
 社員には自分の給料分も稼げない新入社員や補助的仕事を行うパートなどもいる。また間接部門もあるから最前線の現場で働くビジネスパーソンが少なくとも3倍程度の付加価値を稼いでこなければ会社が黒字になることはない。これが「三倍稼いで一人前」の簿記的根拠である。
 また、三倍稼ぐことは一人前の社員の最低限の条件であり、製造部門や開発部門を抱えている企業の営業はさらなる付加価値を上げる必要がある。会社ごとに具体的に考えていかなければならない。

また、補足情報として今後の会計実務に多大な影響をもたらすIFRS(国際財務報告基準)についての紹介も行った。従来の会計は過去のビジネス行動の集積を金銭的に評価した、結果報告書という側面があるが、IFRSによる会計報告書は現時点で見積もることができる未来への金銭的影響を現在評価するというもので、考え方が根本的に転換されている。
 中小企業への影響は間接的なものにとどまるが、IFRS的な考え方について理解しておくことはビジネスパーソンにとって必要不可欠であると主張した。

 

  起業NPO東海マネジメント研究会 第2期活動報告および第3期活動計画 藤田 泰正  

 第2期活動報告の書類の配布。第3期の活動計画の一つとして、統一したテーマの基に書籍を出版することについての説明を行った。

 第68回 2010年5月23日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 藤田 泰正、伊藤 賢

 情報提供 : 浅沼 宏和(上海万博体験記)、冨田 晋司(NPO関係)

  起業家としてのウォルト・ディズニー  藤田 泰正  

1.ウォルト・ディズニー(Walter Elias Disney 190166)のプロフィール

 ① 人生

 ・先進的なアニメーター トーキーアニメの先駆者 品質の向上 社会的な評価

  映画監督 プロデューサー 脚本家 声優 実業家 エンターテイナー

 ・高校を中退して欧州で従軍(実際は第2世界大戦終結後にフランスで赤十字活動)

20歳代で世界的な名声 キャラクター達の父

・ディズニーランドの成功

 ・数多くの受賞、叙勲

②生い立ち

・度重なる転居 貧しさ 厳格な父親 少年時代から労働に従事 

③性格

 ・複雑 相手により印象が異なる 記号としての「ウォルト・ディズニー」を演じる

 ・天真爛漫 楽天的 情熱的 夢想家 自信家 社交的 家庭的 博愛主義 完全主義

 ・目立ちたがり 尊大 強い猜疑心 無慈悲 傲慢 引きこもり 過度の集中 

反共主義 人種差別主義 経営能力の欠如 鬱病 アルコール依存症(諸説あり)

 ④家族

 ・妻リリアン 娘2人 次女の婿(ロナルド・W・ミラー)がビジネスを継いだが失脚

 

2.起業家としてのウォルト・ディズニー

 ①実績

 ・長編トーキーアニメの技術と市場を確立

 ・映画とキャラクターグッズを包括するビジネスモデルを確立

・ブランドビジネスの確立(ウォルト・ディズニーの記号化)

 ・効果的なテレビの活用

 ・テーマパーク・ビジネスの確立(映画からのアプローチ)

 ・総合的なアミューズメント・ビジネスの確立

②度重なる挫折

 ・最初に設立したラフォグラム・フィルムが資金難により破産 1923

 ・配給業者のミンツにディズニー・ブラザースを乗っ取られ、オズワルドの権利を失う

 ・配給業者のパワーズの画策により行き詰まる 1930年          1928

 ・社員のストライキ 1941

 ③葛藤

・品質向上と制作原価上昇のジレンマ

・クリエーターとビジネス・マンのジレンマ

・恒常的な資金難

 ・見果てぬ夢

3.成功要因

 ①情熱と集中力

 ②技術の優位性

③マネジメントの存在

 ④質素

4.オリエンタルランドについて

 ①日本でもっとも成功したテーマパーク

 ②TDL(東京ディズニーランド)の経営基盤

 ・「千葉方式」による埋め立てと土地の取得

 ・土地の転売による巨額の利益

以上

コピー

ウォルト・ディズニーは、アミューズメント産業における成功者として世界的に著名である。しかし、21歳で最初の起業をしてから多くの失敗や挫折を経験したことはあまり知られていない。今回は、彼の起業家としての側面に光をあてて、その先進性と成功要因を検討する。

 

  クラウドとは  伊藤 賢  

 

第67回 2010年4月18日(日) 9:30~12:00

 発表者 : 伊藤 博、藤田 良美

  景気回復期における為替相場の決定要因  伊藤 博  

 為替レートの決定要因は、超長期的には購買力平価に収束していくなど、一般的議論は十二分にされている感がある。その中で、現時点のような景気回復期に局限した場合には、どのような要因にもっとも影響を受けやすいのかについて考えてみた。

  日本に影響を与えた欧米人によるデザインの残像-近代-  藤田 良美  

 現代における日本のデザインは、戦後の産業の発達に伴い急速に需要が増え、特にアメリカからの強い影響下で成長していった。デザインという言葉が普及したのは1960年頃からであり、それ以前は意匠と呼ばれていた。では、戦前の日本のデザイン(意匠)の歴史は、どのような経緯でスタートしたのか。

■要旨■

1. アメリカ
・ 1876年フィラデルフィア、1893年シカゴ、1904年セントルイス、1915年サンフランシスコ、1939年ニューヨーク博覧会に日本人の技師・工芸家・建築家などが参加した。
・ エドワード・モース(動物学者)/日本国内で民具や陶器、武具や和書の収集を行い、研究をした。東京大学教授。大田区にある縄文時代後期の貝塚である「大森貝塚」を発掘した。伊万里焼きの近代化に尽力していた佐野常民(佐賀藩士、日本赤十字社の創始者)がモースと関与していたことから、日米デザイン交流がビジネスとして幕開けした。
・ アーネスト・F・フェノロサ(東洋美術史研究者、哲学者)/岡倉天心とともに古美術品を保護した。東京大学で政治学・経済学を教育しながら、東洋美術と西洋美術を論じた。
・ エドウィン・O・ライシャワー(東洋史研究者、ハーバード大学教授)/哲学的な観点から日本を研究。日米の思想哲学、地理的環境の対比や類似性の指摘は、当時の起業家・政治家や文化人に影響を与え、日本人の感性や思想について認識する機会も与えた。第二次大戦中にアメリカ陸軍で対日情報戦の専門家として働き、京都爆撃・原爆回避させたことは有名である。ライシャワー発言。
・ 第二次世界大戦中にアメリカのデザイン界が産業の発達にともなって、急速に成長したのと同様に、日本は戦後の経済の急速な発展期にデザインの需要も高まった。アメリカにおいては、ヨーロッパの戦禍を逃れるために、文化人や芸術家、デザイナーという人材がアメリカに移動したという経緯が大きな特徴である。日本の高度成長期は、平和な社会状況の中で、アメリカのデザイン製品を個人が使用する機会が生まれた。特にポップなアートやデザインは、戦後に好まれた。
2. イギリス
・1862年ロンドンでの博覧会にて、浮世絵が展示され知名度高まる。
・ クリストファー・ドレッサー(植物学者、プロダクトデザイナー)/ドレッサーの影響を受けたイギリスの陶器職人たちや銀細工師たちは、日本的な花、扇、竹、魚、鳥の文様を取り入れた。

  クリストファー・ドレッサー

・ チャールズ・レニー・マッキントッシュ(建築家、画家、デザイナー)/アール・ヌーヴォーからアール・デコに至るモダニズム形成期の代表的な建築家。家具やインテリアのデザインには、日本の紋章を想起させる抽象的な円や角の装飾が見られる。アール・ヌーヴォーの様式を取り入れた当時の建築家の武田五一は、マッキントッシュの作品を1901年のイギリスのグラスゴー展覧会においてスケッチを取っていた。武田は東京帝国大学(現東京大学)の工学科で学び1901年より2年間ほど図案研究のためにヨーロッパへ留学し、その後に日本でアール・ヌーヴォー式のデザインの建築をした。

   

マッキントッシュ(これらの椅子は現在も定番のブランドとして販売されている)         日本のちゃぶ台に類似したデザインである

3. フランス
・ 1867年、1878年、1889年、1900年にてパリ万国博覧会に日本は出品し人気を得た。
・ ルイ・クレットマン(フランス士官)/ルイが残した記述には、一般的に日本人が持っていると考えられる気質に触れている内容がいくつか見られる。考察してみると、浮世絵そのものが日本人の生活と感性をよく表現したものであることが理解できる。和辻哲郎の風土学では「風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる人間生活の表現のうちに見いだすことができる。風土が人間の自己了解の仕方である限りそれは当然のことであろう 」と論じられている。このようなことからも、風土により日本人の気質から生みだされた造形には独自のものがあり、それらがジャポニスムを生みだしたともいえる。ルイの記述により、異文化の人から捉えた日本人の姿から、日本の造形芸術やデザインの傾向が読めてくることは、貴重な資料であり、100年前も現在も大差がないことについての立証となる。
・ ルイ以外にも多くの専門分野のフランス人が来日し、その足跡を残しており、彼らは日本のデザインに何らかの関わりを持った。

  

1875-1876マネ              1887ゴッホ              1887ゴッホ

まとめ 
1. 欧米として三ヶ国を取り上げたが、それぞれ日本との関わりあう状況には類似した傾向が見られながら、各国固有の特徴もある。大戦後の関係は戦前と同様ではないが、それは現在も進行中で、ビジネスとして芸術維持活性化としてその関係が継続され、日本の美術業界やデザイン業界の特徴が構築されていると、考えられる。
2. ジャポニスムにより、多くの文化人、商人、画家が活発に日仏の芸術の交流を人と造形を通して行われていた様子が伺われる。この第一次世界大戦以前の時代のアートとデザインにおける日仏の活気のある交流は、その後の不幸な大戦にて交流は隔てられたが、この時代があったからこそ現在の日本のデザインの造形がある。
3. 自国文化を向上させるには、異文化の刺激は重要であり、日本政府がそれらを理解していたかどうかは不明であるにせよ、欧米化を目標としていたこともあり、デザインとアートに関わりを持つ人たちにとってよい時代であったといえる。
4. デザインとアートの共通点の一つとして、生活環境は個人の感性に影響を与えること
はあるが、それぞれの時代に制作されたデザインやアートは個人が突然生みだしたものではない。先人のアイディアや材料を使いながら、復習され新しいものとして作られ、それらは存在する。新しい機械のためのプロダクトデザインも先駆者のアイディアによる延長のものであり、それを広告する媒体もまた今までのグラフィックデザインを再利用し、より愛される視覚言語として登場しているにすぎない。
5. 大企業においてはデザイン部署があるため、デザインやコミュニケーションの力は無視されているわけではない。大企業を支える現在の日本の中小企業の多くは、デザイン部署がないことから、デザインの力については関心が薄い。一例として「大企業と中小企業の生産性や給料の格差は次第に小さくなってきており、中小企業部門は今後とも全般的には成長し続けると思われる。多くの大企業は、信頼できる下請け工場を必要とし、そうした会社の近代化を手伝うし、その結果、中小の下請け工場の労働者も大企業の労働者並の雇用条件をもつようになってきた 」という記述がある。現在も中小企業は大企業にとっては成長の支えであり、その中小企業がデザインを理解することにより大企業とバランスがとれ、経済成長に影響を与えるのである。

 参考文献  

・和辻哲郎 『風土』(岩波文庫、p.17、2006年)

・エズラ・F・ヴォーゲル 広中和歌子、木元彰子訳『Japan as No.1』(ティビーエス・ブリタニカ、p.288、1979年)

 

 第66回 2010年3月14日(日) 9:30~12:00

発表者 : 藤田 泰正、浅沼 宏和

  産業集積と技術の地下水脈  藤田 泰正  

産業集積の形成および発展には主となる産業のみならず、それらを補助、支援する各種の産業が必要である。本発表においては、産業用機械産業を補助・支援産業の一部に位置つけた上で、Marshall、Weber、Porterの理論に依拠してその在立意義を検討するものである。

■要旨■

 本発表は、産業用機械産業をsupporting industryの一部と位置付けて、産業集積の形成と発展におけるその機能を明らかにすることを目的とする。具体的には、拙論「工業発展と技術の地下水脈」(2009)で明らかにした浜松地域の産業発展における産業用機械メーカーとその技術の重要性をAlfred Marshall、Alfred Weber、Michael Porterの各理論に依拠して検討するものである。
まず注目しなくてはいけないことは、Marshall、Weber、Porterが述べる補助産業、補助工業、支援産業または供給産業はそれぞれ異なることである。Marshallの補助産業は、原材料の供給者、道具や設備の供給者、生産の一部を担当する生産者および運輸や流通業者までを含むため、もっとも範囲が広いといえる。その理由は、彼は生産工程のみならず産業構造を横断して発生する分業の進展が産業集積の基盤となる、と考えるからである。次に、Weberは補助工業を設備の供給者として規定することにより、その保全業務までを含めてその機能を明確に評価している。しかし、両者は時代的な制約もあり技術的な相互補完関係までを含めた検討はなされていない。他方、Porterは競争力を持つ供給産業はさまざまな優位を創造する存在として、より積極的な役割を認めている。顧客企業と供給企業の活発な交流が地域産業全体のイノベーションとグレードアップを加速させるが、その前提として地域内に熾烈な競争を行なライバル企業の存在が不可欠である。その理由は、単一企業よりも複数のライバル企業に対するほうが供給企業の技術的な選択肢と経営の機会が増える。また、ライバル企業と供給企業を巻き込んだ自由闊達な関係が地域の競争基準を引き上げてさらなる発展を促すからである。
 本発表では、浜松地域におけるケース・スタディを基に、熾烈なライバル関係にある複数の顧客と産業用機械メーカーの相互啓発関係が浜松地域の発展要因となり、継続的な発展を促したことを明らかにした上で、産業用機械メーカーが内包する技術の進化を「技術の地下水脈」と規定している。この「技術の地下水脈」が形成される過程は図表1のとおりである。これにより、産業集積の発展条件として次の3点が明らかになった。第1に、産業の分業化および高度化により産業用機械産業は不可欠な存在として必然的に形成されること。第2は、熾烈な競争を基盤とする相互啓発関係が 産業集積を高い次元に導くこと。第3は、形成された高度な産業用機械産業が技術の地下水脈として産業集積の継続的な発展に寄与すること、である。

図表1 技術の地下水脈の形成過程

  バランススコアカードの戦略マップ作成法についての改定案  浅沼 宏和  

      BSCは財務・顧客・業務プロセス・学習と成長という4つの視点についてバランスよく指標を設定して戦略を実行しようとするツールであるが、最上位に財務の視点を置き、各視点が原因結果の関係にあると仮定している。本発表ではBSC理論の仮定の問題点を検討し、ドラッカー経営理論・ポーターの競争戦略論との融合を図る改定案を提起した。

 

 第65回 2010年2月14日(日) 9:30~12:00

発表者 : 藤田 友孝、藤田 良美

  新入社員の大量離職が内包する課題  藤田 友孝  

  社会におけるデザインの有効性  藤田 良美  

    今日、企業、教育機関、公共関係の施設においては、コミュニケーション・デザインに対する重要さを理解していないために、マネジメントに重点を置きすぎ、本来根源となる人と人の焦点においての関心が欠落している状況である。その原因と問題を探る。

■要旨■

1.研究の背景・動機   
 グラフィックデザインの仕事を通して、多くの企業と関わった結果、デザインにおいていくつかの問題点があることに注目した。仕事を発注する企業の多くの人々は、デザインについての認識度や関心が低いという点である。企業においては、総務部の人間が広告媒体についての企画を発注する例が多いが、デザインの概念を理解していないため、発注者とデザイナーの間に乖離が起こるのである。この理由について、社会的背景を含み、個人・企業と広域に渡って、どのような問題があるのか、と考察を始めたことが、研究の動機である。

2.研究の目的   
現在の日本においては、経済活動は停滞傾向にあるといわれているが、企業はこのような経済環境の中であっても成長、発展を維持していかなくてはならない。企業が成功するには、企業内の情報交換・伝達がよい流れである必要がある。これはコミュニケーション能力が充分であるかどうかにあたる。多くの企業人や社会人は、社会学、経営学、経済学に興味を持つが、デザインには関心がない。デザインは、単にアイディアでありモノの形を生み出すものと捕らえがちであるが、人間の行動や思考や観念であり、時代の文化や社会情勢を表現している重要なものである。経営戦略の中に、今まで考慮に入れることのなかったデザイン力を強化し、独自性・ブランド力をつける方法を提案する。

3.研究の内容 

 本論文の研究方法は、「ひと」を先に、次に「もの」を基本に進める。「ひと」の主となる意味は、文化思想、哲学、自然を指し、「もの」は、生産、経済、経営を指す。根源は「ひと」があるからこそ「もの」が存在するのである。18世紀後半のイギリスに開始された産業革命後の世界は、「もの」の価値が高く評価される社会となった。環境問題が主流となった現代においても、環境問題が新しい産業となり、現代においても、「もの」が主流であり、次に「ひと」が存在するという傾向が強く見られる。筆者は「ひと」を先に考察することにより、このコミュニケーション・デザインの理論構築を進めていく。

 デザインとは何か、という疑問を解くには、デザインという意味の内容が広義に渡りすぎているため、考察していくことは困難となる。コミュニケーション・デザインという言葉であれば、デザインについての疑問や解釈が進めやすい。一つの方法としては、日本独自のデザイン観については、日本の風土や環境から考察を進める。第1章から第4章において、コミュニケーションとデザインについて先行文献における歴史と定義について分析を進める。また、コミュニケーションとデザインに関わる現代の社会問題や文化思想について考察を行い、第5章においては、本論文のコミュニケーション・デザインの理論を構築する。

4.成果

 現在の成果によると、コミュニケーションの定義は多岐に渡るが、現在においては動物の中で、人間だけが言語を持つ、という結果がある。その事実により人間は、他の動物と対比して、コミュニケーション能力の範囲が深く広いため、未知数の可能性を持っていることが確認できた。

 社会におけるコミュニケーションとデザインの可能性については、多くの課題が見られた。コミュニケーション・デザインという、情報と芸術の融合性のある分野を、一般社会に取り入れることにより、日本の社会システムに一助する可能性はあるため、それらに向けて研究を継続していく。

 

 第64回 2010年1月17日(日) 9:30~12:00

発表者 : 村木 則予

  キャリアデザイン講座  村木 則予  

■要旨■

 リーマンショック以降の不況下、企業活力を取り戻す切り札の一つとして「キャリア開発」が注目されている。経営資源と言われる人・物・金・情報のなかで、経済力だけでは左右できない「人」の能力をいかにして引き出すかが問われているともいえる。1990年代のバブル崩壊後、リストラの流行を経て、個人は自らのキャリアを守らなければならないという考え方が広まった。「エンプロイアビリティ=雇用され続ける能力」という言葉が流行り、資格ブームが訪れたのがこの頃である。ところが「個」の視点のみに終始したキャリア開発は、必ずしも幸せな結果だけにたどりついたわけではなかった。当時の不況は多くの就職浪人を生み、社会の入り口で出鼻をくじかれた若者たちの何割かはいまだ定職につくことなくフリーターの身に甘んじている。
 日本の若者たちがキャリアの迷路にはまりこむ理由の一つに、キャリア教育の不在を挙げることができる。たとえばアメリカでは小学生の頃から自分の適性や価値観などを考える機会が与えられていると聞く。自分の将来を漠然とでも考えている個人と、高校や大学で就職活動に直面して初めて自己分析を始める個人とでは、キャリアのスタートラインが異なることは容易に想像できる。
 キャリアには2つの視点がある。一つは上記のような個人から見たキャリア。自分の適性や興味関心に応じてどのような仕事を選び人生を送るかという視点である。そしてもう一つは組織から見たキャリア、その人にどのような役割を与え、組織に貢献してもらうかという視点である。これからのキャリアを考える時、必要なのはこの両者の視点を融合させることと考える。組織が抱く事業戦略などの上位概念を前提に自分のキャリアをどのように開発していくべきか、その主体的なキャリアの選択が求められている。もちろん組織の事情は考慮せずに、個の欲求に基づいてキャリアを追求するという考え方もあっていい。しかし一握りの優秀な人材以外に、個に立脚したキャリア開発のみを追求するのは現実問題として難しい。特に価値観の多様化した現在は、生活における仕事の比重が低く、組織から与えられるままに仕事をしていたいと望む層も少なからずいる。こうしたいわゆる「ぶら下がり人材」にも、ぶら下がってばかりいられたら組織としては困るのである。
 最近話題に上るキャリア理論のなかに「プランドハプンスタンス=計画された偶発性」というキーワードがある。組織のなかでマイノリティとして生き延びてきた女性たちに話を聞くと、生き残りの秘訣は、自己実現にさほど執着せず、与えられた仕事を一生けん命やることだと回答をもらった。考えるまでもなく現実はコントロールの利かないもの。大きな計画を持ちながらも、枝葉の選択の段階で環境変化に応じた柔軟な対応ができれば、キャリアを中断することなく、長期的には当初の計画を達成する可能性は高まると言える。組織にとっても、柔軟な対応ができる人材の方が使いやすく、組織力の強化に貢献可能ととらえるため、こうしたタイプの人が組織内で生き残る可能性も高まるのである。