静岡県浜松市のコンサルタントの専門家が揃う

NPO東海マネジメント研究会■■■■■■■■■

浜松地域を中心とした、経営・経済・財務・芸術・文化の研究者、実務家、が揃っています。

個人から企業の問題までを研究対象としています。

 

 2011年1月~6月(第77回~82回)

発表者 :   村木則予

 第81回 2011年6月19日(日) 9:30~12:00

 ISO26000とCSRの新潮流


 2010年10月に発行されたISO26000はCSR活動の新たなガイドラインとして注目されている。ISO26000は第三者認証の必要のないガイダンスであり、7つの中核課題(右図)のもと解決すべき課題と具体的なアクションプランの例を多数挙げている。
この規格の策定には5年の期間がかかっている。というのも、政府、産業界、NGOほかのマルチステークホルダーが、多数決に頼ることなく会話を重ねた成果だから。特に途上国の参加意識が高く、規格発行と同時に多くの途上国が普及活動を開始した。
 ISO26000はサプライチェーンの人権に対する目線が色濃い。規格策定の議論に途上国の代表が多く参加していたことが影響しているという。そこには児童労働や生態系破壊などの深刻な問題がからんでいる。国内では中小企業であっても、コスト競争力の強化と新たな市場開拓を目的に途上国に進出するケースが多い。進出先の人権に対する配慮は社会的責任上必須であり、現地で支持を得るためには不可欠の行為となる。
 ISO26000のアウトラインと具体的なアクションプランについては、ネット上に非常にわかりやすい資料が提供されている。「やさしい社会的責任」で検索ができ、事例とともに参照できる。
 ISO26000を新たなガイドラインとするCSR活動は、環境活動同様にマイナスの投資と認識されることが多い。と同時に、CSRを戦略的に活用しようというアイデアも広がり始めている。前者を「守りのCSR」と呼び、後者を「攻めのCSR」と呼ぶ区分けも登場している。攻めのCSRについては、マイケル・ポーターが発表した「競争優位のCSR戦略」やフィリップ・コトラーの「社会的責任のマーケティング」で考え方や具体的な事例が確認できる。攻めのCSRについては、これらにとどまらず幅広い認識がある。
 CSR活動は余力のある大企業がやるもの、という考えは依然根強い。ある意味、真実ではあるが、実は中小企業でも既に取り組んでいる例はいくつもある。それをCSR的にとらえ、ステークホルダーに適切に情報発信していくことで、企業のブランド力の底上げにつながるであろう。企業が社会的責任を果たすことは、長期的に見れば必ず好ましいフィードバックを得られるものである。難しいのは、短期的なメリットが見えにくく、取り組むきっかけがつかみにくい点。だからこそトップの強力なリーダーシップがなければ、継続的な取り組みは困難と思われる。

注)ISO26000は、企業だけでなく、NGO、大学などすべての組織の社会的責任に関する規格であるため、正式には「SRのガイダンス」と呼ばれる。

 

 第80回 2011年5月22日(日) 9:30~12:00

 発表者 :  浅沼 宏和

 出版事情あれこれ

・今回、ぱる出版、中経出版でそれぞれドラッカー関連の書籍を出版することになった。
・印税はどちらも8%。
・中経出版は初版の半分に該当する分の印税は保証してくれる。しかも前渡し。
・出版にあたっては企画を持ち込むやり方を取った。
・過去2年ほどいくつかの企画を数十社に送ったがいずれも却下された経験がある。
・出版はネームバリュー、過去の出版実績などがものをいうと思われる。最初の出版に至るまでが大変であ    
ると思う。
・企画で意識したことは「これまでにない本」「読者のニーズがある本」という二つの条件を満たすものであること。
・今回の場合、企画書は1枚程度にまとめ、過去の業績などの参考資料を別添する形をとった。
・企画が通ると電話かメールで連絡が来る。相手から連絡が来た時点で基本的に出版の可能性が飛躍的に高まる。
・接点ができたらできるだけ編集者と実際にコミュニケーションをとって企画のアピールをした方が良い。企画書の情報量は限られている。
・今回の企画は両出版社とも喧々諤々の議論があったとのこと。社内で反対意見があるのは当然と考えておく。それでも押してもらえるような「売り」が必要と思われる。
・著者がある程度部数をさばくことをアピールできると編集者としては心強い模様。
・地域の書店やマスコミ向けのプレスリリース等を自主的に行うことを申し出たところ大変喜んでもらえた。

 

 発表者 :  藤田 良美

 NYで定着しているオーガニックについて

20114月 取材とオーガニック研修からー

 

ホールフーズ

 

グリーンマーケット

 

フード・コープ

ホールフーズ
ホールフーズ・マーケット(以下ホールフーズ)は、米国最大手のオーガニックスーパーチェーンである。
 アメリカ、ニューヨーク州のマンハッタンだけで、3ヵ所ある。品揃え豊富なデリカテッセンは高めではあるが、高級レストランの味を楽しむことができる。
 観光客らしき日本人の姿も少なくはない。 全ての面で高レベルの(値段も高め)お店なのだが、オーガニックスーパーでありながら、コンベンショナル(通常の方法で栽培されているもの)も販売されている。店内にて、オーガニック商品は全体の3分の1の割合といわれている。 この数字がマンハッタン(以下NY)のオーガニック事情を表しているのであろう。
 全てをオーガニックで揃えることができないプチオーガニック愛好者が、NYでは一般的に多い、ということが判断できた。 なぜなら、「私はオーガニック愛好者」と、自称する人は、完全オーガニックに移行するまでの、この期間(プチオーガニック)が、一番長い。個人的には、プチオーガニック期間は8年以上である。
そのため、食費に多くの負担がかからない一部のみオーガニック食材を利用し、その他は一般食材で揃える。そのため、日本国内では、 一般マーケットと自然食材店の両方に買い物に行くという手間が起こる。しかしアメリカにはホールフーズがあるため、プチオーガニック愛好者は1ケ所に買い物に行くだけですむのである。
 オーガニック消費者は、完全なオーガニックになるまでに過程があり、それらを経営戦略に入れることを、NYの成功事例の現場で読むことができた。
 今回の滞在で、自分の経験とオーガニックビジネスに成功するための、一つのキーワードを独自に理解することができたことは、大きな収穫であった。

 ホールフーズのスタートは、1978年に25歳の大学中退者John Mackeyと恋人のRene Lawson(当時21歳)が、家族から借りた資金45,000ドルで開店した小さな自然食品店からである。「セイファー・ウェイ(SaferWay)」の名称は、当時オースチンにも開業した大規模スーパーマーケット・チェーン「Safeway」を意識してつけた店名である。
 その2年後、さらなるパートナー達の経営する「Clarksville Natural Grocery」との合併により、1980年9月20日、面積12,500平方フィート、従業員19名の自然食品店「ホールフーズ・マーケット」が初めて開店した。 2012年の初めからは、20カ所の新開店を予定している。加えて10カ所の店舗リースが交渉中で、15カ所は不動産委員会の検討待ちである。これらは全て2012年以降の開店計画となる。
 今後は既存店のある地域より多少平均教育程度の低い地域にも小型店の出店を進めていくと、アメリカ国内で1,000店舗位となる。

グリーンマーケット
 ニューヨーク市近郊の農家が、収穫したての野菜や果物などを売りに来るオーガニックを主としたファーマーズマーケット。 決った曜日にマンハッタン内の各地でオープンしている。 最も規模が大きくて有名なのが、ユニオンスクエアのグリーンマーケット(オーガニックファーマーズマーケット)。ここは、年間を通して毎週月、水、金、土曜日の午前8時から午後6時ごろまでオープンしている。
 各農家のテントには畑の場所や栽培方法が記されたサインが張られているので、これを見ればオーガニックかどうか判断できる。
 マンハッタンにあるオーガニックレストランには、ここで調達した食材を使っていることを売りにするところも多い。  
 品質の良さはもちろんだが、環境への負荷を抑えた農法にこだわる、小規模農家を応援できるという点で、ニューヨーカーたちに愛されている。
 日本では、定期的にオーガニックのファーマーズマーケットを行っている所は少ない。ユニオンスクエアと同じ規模とレベルのグリーンマーケットは、日本にはない。
 浜松市内においては、西部農林事務所の声かけから、今年の7月に第一回目のオーガニックファーマーズマーケットが、伊佐地で行われる予定である。市内では、個人規模でオーガニックの直販などが開かれているが、定着していない。
 日本国内のJAなどがおこなっている、ファーマーズマーケットを「安くて、安全」だと思い込んでいる人が多いが、「新鮮で安い」が、オーガニックではないため「安全」とはいえない。 ファーマーズマーケットは、マーケットで販売している、化学肥料・農薬を使用している慣行栽培の野菜と同じである。マーケットより安い理由は、生産者が直接持ち込むことと、取れすぎたものや、形・大きさが規定外、という理由による。
 浜松市内の青果の卸業者によると、外国産の野菜は国内に入る前に毎回、農薬検査が行われており、国内・地元産の野菜は、年に数回ぬきうちで検査が行われる、とのことだ。外国産の野菜については、「国内産より検査が厳しい」ということになる。しかし、国内外の青果へのホストハーベスト(収穫後の農薬散布)は、実態が明確でないため、どちらが安心かは判断しにくい。
 そのような状況にありながら、国外の加工された野菜については、農薬検査はない。そのため、水煮の野菜・ボイル冷凍野菜・その他加工食品などに、規定以上の危険化学物質が含まれる食品事件が後を絶たない。
 安全といえるものとしては、安全な農法による化学肥料・農薬を使わないで栽培された野菜だけである。
地元産であり、さらに安全な農法により収穫された野菜、となると希少であり、量産販売のマーケットで販売できる量はない、ということだけは確かである。

フード・コープ  
ブルックリン「パークスロープ・フード・コープ」
 ホールフーズと比較すると、オーガニックのものが多い、という点である。
フード・コープ店内に入ると入り口のカウンターで組合員証の提示を求められる。組合員証を機械に通され、有効であることが確認されると買い物ができる。
 ニューヨーク郊外、ブルックリンにある「パークスロープ・フード・コープ」で買い物ができるのは、一定の出資金を払い、4週間に1度2時間45分の労働奉仕をきちんと果たしている組合員に限られる。
 フード・コープ(FC)とは生活協同組合のことである。米国には、独立して運営されているFCがあちこちにあって、食料品を中心に生活用品を安く提供している。中でも、「パークスロープ・フード・コープ」(設立1973年)は、ユニークな運営方針と、ビジネスモデルの成功例として注目されている。
 組合員数の伸びに伴い、2002年に売り場を2倍に拡張してからはますます組合員が増え、その数は今では1万2000人を超え、組員数はほぼ飽和状態といわれている。 週末には、車で遠方よりまとめ買いにやって来る人たちも多く、レジの前に長蛇の列ができる。
 フード・コープは、アメリカでは37年の歴史があるが、現在の日本では同じシステムの販売店はない。しかし、日本国内の小規模の自然食品店の野菜のほとんどは、100%オーガニックである。
 フード・コープの特徴としては、ホールフードのようにサービスが行き届いているわけではなく、素人の組合員が陳列作業を行うため、1ページの写真のように整理整頓されていない。また、今回取材させてもらったフード・コープの組合員になっている人によると、「週1回3時間ほどの店内での労働はやりたくない時が多い。ほとんどの人が、会員になり安く購入するための手段として、仕方なく働いている。」ということであった。その意欲のなさが、陳列作業などの店内サービスに表れている印象を持った。


日本における「オーガニック」の概念について
 明確に、オーガニック論というものは確立されていないが、自然食材店や自然レストランなどの現場において、理解されているオーガニックの意味は、それほど差がないようである。
 有機栽培、自然農法、自然栽培などという名称の栽培方法では、化学肥料・農薬一切使わず、肥料や消毒としては安全な植物系のものを使っていることを指している。
 このこだわりの農法では、家族などの少人数で栽培されていることが多いため、農園が多い。これらが量産できるように、自然栽培を広める指導者もいる。オーガニックと呼ぶことのできる日本の農作物は、5%を切るという専門家が多い。さらに、一番安全といわれる自然栽培の農法は、1%を切っている。 
 酪農については、自由に歩きまわれる牧草地で育ち、牧草・干し草を食べ、成長ホルモン、抗生物質などの投与は一切ない、牛・豚・鶏他。これらの方法により栽培された青果や、畜産物を、オーガニックと呼んでいる。
 これらの食材と、これらに添加物を使わずに加工した食品についても、一般にオーガニックと呼ぶ。
減農薬・減肥料、契約栽培、放牧されていないが安全な餌による畜産、これらはオーガニックとは呼べない。しかし、オーガニック=安全・安心というイメージが、近年定着してきたこことから、少しでも安全そうな要素があると、売るためにオーガニックと称する業者が出てきているため、注意が必要である。
農林水産省の有機JASマークと同じく、アメリカでも類似した条件で、オーガニックの認証がある。しかし、専門家は、日米どちらもこれらの認証を信用していない人が多い。オーガニック初心者ほど、これらの認証を信用する傾向にある。
 アメリカでは、オーガニックと呼べることのできる農作物は20%であり、日本の4倍以上である。
 そのようなことから、日本国内のスーパーマーケットに、オーガニックの野菜が絶えず供給することは、現在においては不可能である。
 スーパーマーケットで販売されている「有機栽培」という名前の野菜を購入し、数点調査した。その結果、家庭やレストランの生ごみを肥料にした、危険な有機栽培の野菜が一部売られていた。
 一般栽培の野菜と食品添加物が多く含まれる食材で作られた肥料は、安全ではない。
 また、オーガニックの野菜を栽培している農園は、市場に出せる量ではないため、小規模な自然食材店か、ネットで直売していることがほとんどである。


参考文献1.
文教大学国際学部紀要 第19巻2号2009年1月
LOHAS「思想」発展の現状とその未来
─ボウルダーにおける「先進的実験」から学ぶ─
小坂 勝昭
問題意識
2008年2月、はじめてボウルダーを訪ね、ホール・フーズ・マーケット(WHM)の店頭に並べられた“Organic”と手書きされた「有機野菜」や、「有機果実」に群がるボウルダーの消費者を見たとき、食の安全性を重視する住民の意識の高さに圧倒される思いであった。その後、日本経営倫理学会の「企業行動部会で報告する機会があった(「ロハス思想の理解のために-ボウルダー報告」)。(1)
会員からは、カタカナの「ロハス」が何を意味するのか理解しにくく、LOHASという横文字を使うほうがむしろ親切であるという指摘があり、その意見に従おうと思う。しかし、経営倫理学会の会員にはもっと「LOHAS理解」を深めてもらうことが必要であると感じている。生態系を無視した経営は今後ますます成立しないからである。
そして、2008年8月6-10日、アメリカのロス近郊「アナハイム」で開催された「アメリカ経営倫理学会」に日本側からの参加者の一人として参加し、帰途ボウルダーに再度立ち寄ることにした。今回の訪問には明確な目的があった。LOHAS思想の拡大、浸透に大変に大きな役割を演じてきた雑誌『ソトコト』(木楽舎)の執筆者の中に毎号「ボウルダー通信」を寄稿している井沢敬という「ボウルダー移住者」がいることを知っていた。今回なんとかお会いしたいと、『ソトコト』副編集長の指出一正氏に仲介の労を取っていただき、メールで約束を取り付けお会いすることができた。
2月に訪ねてから半年が経過している。ボウルダーのホール・フーズ・マーケット(WFM)は、相変わらず成長、拡大を続けているのだろうか、ライバルのワイルドオーツ社はどうなったのだろうか。こうした漠然としたことを考えつつ井沢氏とお会いした。驚いたことにボウルダーの中ではグロサリー間の勢力図は急速に変化を遂げつつあった。WFMのライバルとなる可能性を持っていたワイルドオーツ社は、すでに吸収合併され、ワイルドオーツという名称は残されたものの、経営母体はホール・フーズ・マーケットに吸収されていた。ライバルは大きくなる前に吸収・合併してしまう、というのがホール・フーズ・マーケットの経営戦略である。こうして拡大を続けてきたWFMは、ニューヨークに進出した。

参考文献2.
『チェーンストアエイジ』2005年12月1日号より
「ホールフーズはいかにして急成長できたのか?」
―ホールフーズの良き競争者―
小川 孔輔
(著書『しまむらとヤオコー』『マネジメント・テキスト マーケティング入門』他)

 優秀な経営者と優良企業が育つためには、良き競争相手と助言者に恵まれなければならない。「ホールフーズ・マーケット」(The Whole Foods Market Inc.:本社テキサス州オースチン)の成長の背後には、地元テキサスの小売業「セントラル・マーケット」(Central Market:本社テキサス州サンアントニオ)の存在がある。そのことは、米国の一般人や日本人にはほとんど知られていない。驚くべきことに、ホールフーズは、あ
る意味では優秀な「模倣者」なのである。
 セントラル・マーケットは、HEB(H-E-B)のアップスケール業態として1994年に創業された。現在テキサス
州内に7店舗を展開している
http://www.centralmarket.com/)。親会社のHEB自体は、今年で創業100周年を迎える歴史と伝統のある同族経営の食品小売業である(http://www.heb.com/)。2003年の売上高は110億ドル(1兆2100億円)で、米国小売業の第10位にランクされている。創業25年目のホールフーズと比べると、店舗数(約2倍)、売上高(約3倍)、会社の歴史(4倍)ともに経営規模ではかなり大きな開きがある。後に述べるが、徹底したサービス志向、店頭での食材情報の提供、体験型店舗のデザインなどについて、数年前まではセントラル・マーケットの独壇場であった。しかし、HEB本社の出店政策が慎重であったため、超優良企業であるにもかかわらず、本体のHEBも子会社のセントラル・マーケットも、テキサス・ローカルのスーパーマーケットに留まっている(一部メキシコには店舗を持っている)。
 他方のホールフーズは、M&Aを繰り返しながらナショナル・チェーンに成長していった。ナスダックに上場した1992年に、自然食品系のローカル・スーパーが合併してできた会社である。急成長の秘訣は、その後もつぎつぎに全米のローカル自然食品系SMを吸収合併することに成功できたからである。既存店の売上高の伸び率も年15%前後と小さくないが、創業から短期間で世界最大の自然食品系スーパーの地位を築くことができたのは、積極的なM&Aによるところが大きいと言える(6月末現在172店舗)。
 結局のところ、両社の業績の差は、スピードと企業経営におけるダイナミズに対する考え方の違いから生まれている。それに付け加えるならば、顧客ターゲットのとらえ方の違いよるものである。セントラル・マーケットがやや年齢層が高い旧来からの富裕層をターゲットにしているのに対して、ホールフーズは比較的若い健康志向のLOHAS層をメイン顧客に想定して店づくりをしている。

参考文献
『現代農法8月号』(農山漁村文化協会、2010年)
木村秋則『自然栽培の世界』(日本経済新聞出版社、2010年)
河名秀郎『自然の野菜は腐らない』(朝日出版社、2009年)
松下一郎『本当は危ない有機野菜』(徳間書店、2009年)
赤峰勝人『ニンジンの奇跡』講談社プラスアルファ新書、2009年)

NYオーガニック講座指導者


太田あや
BIO ARTS NYC, INC.代表/米国代替医療協会認定ホリスティック・ヘルス・コーチ
※ニューヨーク大学大学院修了後、米国代替医療協会が認定するホリスティック・ヘルス・コーチとしての資格、コロンビア大学で統合栄養学のサーティフィケートを取得。

向井余史子
スローライフ研究家
著書『おきらくヘルシーごはん―ニューヨーク・スローライフ』二見書房、2009年
※大阪市立大学文学部人間関係学科社会学卒後、編集・グラフィックデザイナーとして働く。大学 CUNY1年在学、日系ウェブホスティング会社、米系日本向けeコマース会社に就職、グリーンカードを取得。アンヌマリー・コルビン博士 が創設のヘルシー料理学校にて、シェフトレーニング・プログラムを修了。

 

 発表者 :  浅 宏和

 第78回 2011年3月27日(日) 9:30~12:00

 「なぜ今ドラッカーが求められるのか?」岩崎夏海氏講演録 

(平成23年3月23日・浜松商工会議所)

1

1. 人は時間がたつと危機や失敗を忘れていく。
2. かつての三陸沖地震の津波被害者の慰霊塔「これより低いところに家を建てるべからず」→これが守
れず今回も被災した。
3. ドラッカーはオーストリア出身のユダヤ系
4. 20世紀前半、オーストリアはハプスブルク家が支配していた。
5. 第一次大戦後ハプスブルク家支配が終焉し、国家が大きく変わった。貴族が支配する国⇒民衆が支配
る国へ
6. 1929年世界恐慌は米国より欧州のダメージが大きかった。→生活必需品が買えない(物がない)
7. 大変な時代。:みんなが貧乏な社会→ブルジョワ批判が起きた。→ナチスの台頭
8. ナチスは正当な選挙で支持率99%であった。⇒国民がナチスを選んだ。なぜか?
9. ドラッカーはナチスの台頭について強い好奇心を持ち客観的に観察・分析した。
10. ドラッカーの発見『世の中が悪くなるには一つの法則がある』それは、世の中の変化⇒既得権者の抵抗
⇒大きな災いの発生⇒悪い状況へと転落する
11. ドラッカーの視点『世の中が変化する時必ず既得権者が抵抗する』
12. 20世紀は知識社会化が進んだ時代。⇒これに対する強い抵抗があった。
13. 知識社会化(情報社会化)の始まりは300年前の産業革命。
14. 経済力の向上→余暇の発生。ブルジョワジーの台頭vs貴族。⇒フランス革命へ
15. フランス革命後、今度はブルジョワジーが既得権益者となる。⇒民衆を裏切った。
16. 当時教育が奨励され大学が増加した。⇒インテリ層の登場⇒ブルジョワジーへの批判⇒マルクス主義者増加⇒20世紀初頭にソビエト社会主義革命  ‥(東欧の事情)
17. 一方、西欧では全体主義の勃興
18. ナチスの目標:「金持ちの資産を没収し民衆に再分配する」⇒民衆は拍手喝さい‥支持率99%
19. ナチスのやってることは国家主導の略奪行為⇒勤労意欲の低下⇒経済の悪化⇒政権奪取後数年で政
権の行き詰まりを見せた。
20. ナチスは国内で奪える富がなくなったことで国外に目を転じた。⇒第二次大戦の勃発
21. ドラッカーの分析:「ナチスはいつか滅びるだろう」→ナチスの出発点(既得権益の打破)の目標は間違っていない。ただし、そのやり方を財産収奪にしたことが間違いだった。
22. ドラッカーの分析:「ナチスは最初から残忍な政党であったわけではなかった。出発点にはそれなりの正当性があった。」
23. ドラッカーは米国に渡り、新しい社会のヒントを大企業の経営者に見出した。
24. 1930年代の大企業経営者は古い支配層と新しい知識人の中間に立つ存在であった。
25. 米国では大企業経営者は1900年ぐらいに誕生した。→フォードに代表される大量生産時代の到来とともに生まれた。
26. 大企業の規模→1900年:数千人 1910年:数万人 1920年:数十万人。⇒わずか20年で大企業の規模は100倍以上に膨れ上がった。
27. 大量生産方式の登場で中小企業の合併が続いた。⇒ヒト・モノ・カネの結集。
28. 新たに生まれた「大企業」の社長を誰にするかが大問題となった。それ以前はオーナー経営者しか存在していなかったので問題とならなかった。
29. 1920年前後に「資本家が経営にタッチしない」という考え方が登場。⇒雇われ社長=専門経営者の登場
30. これまでこれほど大きな組織を運営した者はいなかった。
31. オーナー社長との違い⇒大企業経営者は「身銭」を払っていないので、従業員に強いことが言えなくなった。⇒正当性をどこに求めるのか?
32. これまでのオーナー社長のやり方ではだめだという認識。
33. ドラッカー:大企業の経営者には3つの使命がある。①企業に固有の使命を果たす ②社員を生かす  
(⇒「お前の人生の面倒を見てやるから俺の言うことを聞け」) ③社会に貢献する。
34. 20世紀初頭から大企業は「倒産法」によって保護されていた。⇒税金で助けてもらう存在⇒最初から社会に貢献することが義務づけられる存在であった。そうでなければ正当性が得られない。
35. 1929年に失業問題に取り組んだことが大企業経営者の意義を高めた。
36. 1929年の失業率は30%⇒初めて「失業者」という言葉が生まれた。それ以前は失業=「死」であったため、失業者は存在していなかった。
37. 失業者とは仕事をしなくても生きていられる人。人類初の存在。
38. 失業者は幸福ではない。体は壊れなかったが心は破壊された。
39. 米国ではカウンセラーが多いが1929年の大恐慌から爆発的に増えた。⇒心が壊れた人が多かった。
40. 失業による父の権威の失墜。「一人の失業者はその一家を破壊する」⇒大企業の経営者の使命感「首にしない」。完全雇用の原則を打ち出す‥ex.IBMなど 「人は資産である」という考え方
41. ドラッカーの転機⇒GMの研究。
42. ドラッカーのマネジメント理論の手本となった人:GM副社長のニコラス・ドレイスタット
43. 第二次大戦中、若者の多くが出征したため生産現場は大幅な人手不足となった。ドレイスタットは黒人の売春婦を工場労働者にすることを思い立った。
44. 兵器という当時のハイテク商品を文字も読めない黒人女性たちに生産させるということはあり得ない発想だった。
45. ドラッカーはドレイスタットの取り組みを一部始終見ていた。⇒仕事論の発想の元。
46. 取り組み1:誰でも使えるマニュアルを作った。文字を使わず手順を分解写真にして、壁に貼り付けた。
47. 取り組み2:熟練工の仕事を分解し、熟練工ではなくてもできる部分を見つけ、その作業のための道具も作った。
48. 取り組み3:適正な人員配置をした。各人の強みを明確にし、一覧表を作成し、それに基づいて人員配置した。
49. こうした取り組みの結果、無教養の黒人女性たち中心の工場で最新兵器が生産できるようになった。
50. ドレイスタットが重視したのはフィードバック。どれくらいできたのか。どれくらいの品質だったのか。こうした情報をただ本人たちに伝えるのがフィードバック。そのあと何も強制しないが、この情報をもとに彼女たちは自分の頭で考えるようになっていった。⇒自己管理を重視する視点の誕生
51. 工場の黒人女性たちが次第に生き生きとしていく様子を目の当たりにしたドラッカーは「これは退廃した世の中を変える力になる」との確信をもった。⇒マネジメントが社会変革の起爆剤になる
52. 1950年代、米国が衰退に向かい始める。原因は大企業の経営者たちと政治家⇒既得権益者となってしまった。⇔1930年代40年代の経営者たちと雲泥の差。
53. ドラッカーは非営利組織に着目していった。⇒ドラッカーは組織には営利・非営利の区別はないと気付いた。
54. やがて世間の人すべてが知識人となる⇒新しいマネジャー、新しい知識人が登場する。
55. 昔、マネジメントは経営者だけのものだった。⇒全ての人にマネジメントの知識が必要になる。
56. 50年前と今では会社の経営の仕方が全く違う。
57. アパレルの例:50年前は大金をはたいて社長一人がパリに出張した。1か月以上滞在し、町を歩き回り情報収集した。帰国後社員に「こんな服を作れ」といい、その通りに売れた。「やはりうちの社長は違う」と尊敬された。⇒情報は社長一人が握っているのが当たり前
58. 今は消費者が情報勝者。忙しくしている社長より、暇にまかせてネットサーフィンをやっている消費者のほうが何十倍も情報を持っている。⇒情報の逆転現象
59. 現場に居る人がより多くの情報を握っている時代。⇒パラダイムシフト
60. 現場に権限を与える必要性。⇒下の人に権限を与える⇒自主管理 ☆世の中のシステムは子の方向に行かざるを得ない。
61. 日本の現状:バブル崩壊が日本のターニングポイント
62. 日本人の問題点:自分たちで解決しようとせず政治家・官僚に文句を言うことしかしなかった。
63. マネジャーは自分たちなのだという自覚が必要だ。
64. 「マネジメント」の価値は外国のどこも気づいていない。ドラッカー・ブームが起きた日本は全ての人がマネジャーになる機会に直面している。
65.米国では「オバマが何もしていない」という批判によって国民が共和党を支持するという流れが起きているが間違い。国民一人一人が事態に取り組んでいく時代。

 

 発表者 :  伊藤 博

 第77回 2011年2月20日(日) 9:30~12:00

 金融危機と企業経営 
                           

1.はじめに
2007年から2008年にかけて、NPO法人東海マネジメント研究会では、「中部経済圏の産業集積と企業経営 -浜松地域を中心として-」と題して、共同研究を行った。
 この中で、輸送機器産業部門は次の様な楽観的なまとめで締めくくられている。「以上のような過程で形成された各企業の基本理念は、近年の国際化を進展させる上でも十分に機能し、その結果は近年各社の最高益を更新する決算数字にも表れていると思われる。輸送機器産業が対処すべき課題は多岐に亘り、また質的変化を見せているが、幸いにも製品群に対する需要は地球規模で衰える気配は無い。従って、刻々と変化する課題を明確にし、社会の要請に対して優れた製品で応えていく基本姿勢を貫くことで、中長期的な活性化が望めるのではないかと思われる。」
 現時点(2011年初頭)から僅か3年前、浜松地域の輸送機器産業に関する一通りの検討を終えた上で、その将来を展望したものである。ところが、この共同研究を行っていたころ、米国のサブプライムローン問題を発生源とする金融危機は着実に進行していた。それは2008年9月のリーマンショックを契機として一気に拡大し、資産価値の下落や信用収縮に伴う消費の落ち込みなどの経路をたどって、実体経済にも急速に波及していったのである。こうした急激な状況の変化は、厳しい競争環境下にはあるが比較的明るい見通しを導き出すことができた浜松地域の輸送機器産業に対しても、深刻な影響を与えることとなった。
 冒頭の共同研究に係る輸送機器産業の将来展望について言えば、こうした環境変化が目前に迫っていたことを認識出来ていなかったと認めざるを得ない。また一方で、金融危機から実体経済への波及がどの程度のものとなるのか、ほとんど予見され得なかったことも事実と思われる。
 そこで本稿では、浜松地域に関連の深い輸送機器産業からの視点を交えて、環境変化を振り返る事とする。このことが、金融と実体経済の両面から、今後の企業経営に係る指針を導く一助となると考えるからである。

  2(1).米国の不動産価格の上昇と世界経済への影響(2000年~2006年)
   (2).サブプライムローン問題の発生(2006年頃から)
   (3).パリバショック(2007年8月9日)
   (4).ベアスターンズ危機(2008年3月)と金融市場への影響拡大
   (5)ンショック(2008年9月15日)と金融危機の顕在化
   (6).実体経済への波及
   (7).その後の経過と対応状況
    
 なお、あらかじめ申し添えるが、金融危機に関する時系列の分析は筆者の時間と能力の制約から、かなりの部分につき引用の形をとらせていただいた。
 
2(1).米国の不動産価格上昇と世界経済への影響(2000年~2006年)
① 不動産価格上昇の光と影
 米国では移民の流入などによる人口増、及びその経済状況の改善によって、住宅の取得ニーズも増加傾向にある。不動産価格も、この状況を背景に右肩上がりの上昇基調をたどってきた。特に1990年代後半以降、その上昇率は一段と高まった(図表1)。
 また米国では、住宅ローンの担保となっている住宅の価格が上がると、借り換えや追加借入によって、より多くの融資を受ける事が出来る。こうした借入は「ホームエクイティーローン」と呼ばれるが、現金化された住宅価格の上昇分のうちかなりの部分が、自動車などの高額消費に充てられていたと考えられる。このサイクルが米国の2007年にかけての約5年間の景気拡大を支えた事は間違いないだろう。

図表1:ケース・シラー住宅指数(Standard & Poor’s資料)

1

   また、不動産価格の上昇によって支えられた米国個人消費の拡大は、米国への直接・間接の輸出拡大によって、日本の製造業にも恩恵を与えてきた。この時期、浜松地域の輸送機器産業が順調に業績を伸ばしてきた背景の一つには、このような構造があったと考えられる(図表2参照)。

図表2:スズキ㈱連結売上高の推移(142:2008年3月期、出所:スズキ㈱事業報告書)

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 なお、この時期ヤマハ発動機㈱も、順調に業績を伸ばしている。

 ただし、このサイクルが逆回転し始めたらどうなるだろうか。米国の不動産価格の上昇が止まれば、米国個人消費は減速する。米国経済は曲がり角を迎え、そして輸送機器産業を中心とする浜松地域の経済にもマイナス要因になることは、十分あり得る事であった。そしてそれは現実化したのである。

     サブプライムローンについて

ここで、米国不動産価格の上昇を助長し、今回の金融危機の主な要因ともなったサブ

プライムローンとは何かついて確認しておく。

・サブプライムローンとは、信用力に問題がある者や過去に破産や債務免除を受

けている者が利用しており、その大部分は短期(2~3年)固定型ローンであった。

・これらのローンは、返済額が固定されている間に住宅価格が上昇し、より条件

の良いローンへ借り換えることを期待して利用した者が多かった。しかし将来

の金利上昇によっては毎月の返済額が2倍以上となる可能性があるものなど

も存在し、必ずしもそのリスクが利用者に説明されていなかったとの指摘があ

る。

・また、サブプライムローンは民間金融機関によって証券化されており、高い格付

けが付与されていたが、裏付け資産等に係る情報(格付けに係る情報を含む)の

透明性は不十分であった。そのため、しかるべき水準以上に低利での資金調達が

可能となり、結果的にサブプライムローンの貸付けを促進したのではないかとの

指摘もある。

    この、サブプライムローンは、2006年頃のピーク時には約130兆円ほどあったと見ら

れ、米国の住宅ローン全体の約1割を占めていた。 

1

(2).サブプライムローン問題の発生(2006年頃から)

①米国金融機関に対する最初の影響

  サブプライムローンの残高がピークに達したころ、既に当初返済負担軽減ローンの負担軽減期間が過ぎて返済が滞り、担保不動産が売却処分される状況が出始めていた。また、このころ米国の不動産価格は頭打ちになり始め(図表1)、一部では値下がりするところも現れ始めた。このことは、上昇が継続する事を見込んでいたサブプライムローン債務者の延滞率をさらに押し上げる要因となった。

 この結果2006年から2007年にかけてはサブプライムローン専業のローン会社の破たんが相次いだが、この時点ではこうした状況はさほど問題視されていなかった。比較的小さな専業ローン会社が破たんするだけなら、金融そして経済全体に波及する様な問題

にはならないと見られていたからである。

 専業ローン会社以外で最初に影響が表面化したのは、大手証券会社ベアスターンズ傘下のヘッジファンド(通常の投資信託とは異なり、富裕層などから私的に高額な資金を集めて運用するファンド)の運用失敗だった。結果的にベアスターンズが3000億円以上の資金支援をせざるを得ない状況に陥ったが、これも市場全体を揺るがす事態には至らなかった。ベアスターンズは特にサブプライムローンなどの証券化に力を入れており、傘下のヘッジファンドで積極的な運用を行っていたという事は、ある程度予想の範囲内だった為である。

     米国の実体経済の状況

 一方、この頃の米国の実体経済はどのような状態だったのだろうか。スズキ株式会社・ヤマハ発動機株式会社(以下、スズキ、ヤマハ発動機と記載)が取扱う輸送機器関連商品の販売状況から見直してみたい。図表4は、2006年から2010年までの、米国における乗用車の販売台数の推移である。

上記の通り米国の不動産価格が下落に転じ金融システムに問題が生じ始めてからも、2007年末位までは目立った減少は発生していない。小規模のローン会社や一部のヘッジファンドは行き詰る程度の状況では、まだ実体経済全般の先行きに懸念が生じていなかった事の裏付けであろう。

  図表3:米国自動車販売台数の推移(出所:Auto Data Corp.

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     スズキとヤマハ発動機の状況

 サブプライム問題が金融システムに最初の影響与えていたころ、浜松地域の輸送機器産業はどの様な状況であったかを確認しておく。スズキは連結ベースで見た場合もともと事業規模に対して北米地域の占める比率が低く、この時点で連結売上高に占める割合は約15%である。その15%を占める北米の自動車市場が急激な変化を示していない状況では、販売政策に重要変化を与える局面とは認識されなかったのではないだろうか。     

ヤマハ発動機については、2005年12月期から2007年12月期まで、北米部門の売上高は伸長しているが、二輪車に限っては2007年には既に減少に転じている。これは米国住宅価格の下落開始とタイミング的にほぼ一致するものだ。日本から輸出する二輪車は乗用車よりも趣味性が高く、消費者の購買余力の減少に敏感に影響を受けたと考えられる。

 サブプライムローン専業のローン会社破綻が始まった頃と機を同じくして、浜松地域の輸送機器産業にも変調の兆しは表れていた事になる。しかし今回の問題の震源地である金融業界の認識が、未だ市場全体を揺るがす程ではない状況では、不透明感があるからと言って、その営業政策に変更を加えることは考えにくい。市場環境の変調をどのようなタイミングで、どのように捉え、営業政策に反映させていくか。実際にどの様な対応が行われたのか想像するしかないが、その後の企業運営に重大な影響を及ぼすポイントとなった事だろう。

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(3).パリバショック(2007年8月9日)

①サブプライムローン問題の表面化

  2007年6~7月、大手格付け会社がサブプライムローンの証券化商品1兆数千億円分を格下げした。証券化商品の価格はある程度格付けに沿って決まってくるため、格付けが下がると価格が急落する事が多い。特にこのときは大量の銘柄が一気に格下げされたため、証券化商品市場への影響は激しいものとなった。

そして2007年8月9日、フランスの銀行最大手BNPパリバが、傘下のヘッジファンド3つの解約を凍結する事を発表した。投資しているサブプライムローンの証券化商品の市場環境が悪化し、適正な価額が把握できなくなってしまった為である。影響が欧州の大銀行の傘下のファンドにまで及んだことで、サブプライムローン問題の大きさと広がりを市場関係者に改めて認識させることとなった。

このパリパショック前後で株価は一旦10%程度下落したが、欧米の金融当局が迅速な金融緩和策を実行した事により、一旦安定を取り戻した。だが銀行間市場の高金利は続き、金融システムが健全に機能していない兆候は依然として続いていた。また証券化商品の値下がりを受けて、新規の証券化商品の組成は、ほぼ停止しており、サブプライムローン資金の供給が無くなった。そのために、借り換えが出来ずに担保不動産の処分を迫られる人が増え、その売却により不動産価額がいっそう下落するという悪循環が強く働き始めたのである。

 こうして、米国の景気拡大を支えてきた次のサイクルが、逆回転を始めた。

不動産価格の上昇→個人の手元資金の増大高額消費景気の拡大

不動産価額が下がれば、個人消費も停滞し、米国経済全体が落ち込む事になる。それは、米国の輸入減少を通じて、日本をはじめ世界経済にもマイナスの影響を及ぼす結果をもたらすのである。

     ズズキとヤマハ発動機の状況

 金融危機は北米から欧州へと広がりを見せていたが、浜松地域の輸送機器メーカーでは、ススキ、ヤマハ発動機ともに連結決算ベースで増収増益を維持し続けた。これは両社の企業努力の成果であることは当然として、経営環境面で2つの要因があると思われる。ひとつは、為替相場が比較的円安に振れていたこと(図表4、図表5参照)。そしてもう一つはアジアを中心とする新興国市場の規模拡大である。

図表4:米ドル/円外国為替相場の推移(出所:infoseek)


 金融危機が顕在化しつつあった2006年から2007年にかけては、米ドル、ユーロ
ともに、日本円に対して比較的高い水準(米ドルでは110~120円、ユーロでは140~160円)にあった。日本の輸出産業の業績面では追い風となっていたはずである。

図表5:ユーロ/円外国為替相場の推移(出所:infoseek

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 ところが、両社の連結決算数字ではなく、浜松地域の輸送機器産業という視点からみると様相はやや異なる。円安に振れても、為替差益の恩恵を受けるのは完成車メーカーのみである。また新興国市場が拡大しても、既に現地生産が進展しており完成車輸出ほどの経済効果は期待的出来ない。従って上記の副次的要因は、完成車メーカーの連結業績を押し上げる効果はあっても、系列企業などを含めた浜松地域の経済全体を潤すほどでは無くなっている可能性が高い。完成車メーカーの連結決算数字と地域の輸送機器産業の業況が連動しない状況は、為替水準や海外生産比率等の今後の推移によってはさらに高まる事も考えられる。以前から系列企業側で聞かれた「儲かっているのは、親メーカーだけ」と言う状態は、場合によっては「儲かっているのは、親メーカーの海外子会社だけ」という形に変質していくことも想定しなければならない。

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(4).ベアスターンズ危機(2008年3月)と金融市場への影響拡大

①米国大手証券会社の破たん

  2008年3月、証券化商品の評価損拡大により業績が悪化していた米国大手証券会社ベアスターンズが経営危機に陥った。取引銀行の融資抑制によって、ごく短期間のうちに資金繰りに行き詰ったのだった。

 だがベアスターンズ危機への対応もまた早かった。市場が閉まっている日曜日の3月16日、FRBの支援付きで大手銀行のJPモルガン・チェースがベアスターンズを救済合併する事が発表された。このベアスターンズ救済で、とりあえず最悪の金融危機は回避されたかに思われた。

②金融市場への影響拡大

 以上のように金融危機は、専業ローン会社からヘッジファンド、銀行、証券会社、と対象が広がってきた。そして「モノライン」と呼ばれる金融保証会社や、住宅公社にまで波及した。

モノラインは、金融保証を専門に取り扱う保険会社である。モノライン自体は格付けが高く、その保証がついている証券化商品には高格付けが得られる。そのため、保証付きの証券化商品は投資家にとって投資しやすい商品となる。

 しかし、証券化商品の元利払いに支障が出ると、モノラインが埋め合わせをしなければならず、それがかさむとモノライン経営基盤自体が危うくなるのである。

 米住宅公社は、住宅ローンを買い取ったり保障したりした上で、証券化をしている巨大な金融機関である。サブプライムローン問題が発生した当初、住宅ローン市場を安定化させるために、これらの住宅公社はローンの買取りを拡大させた。しかしその後の不動産市場の悪化と住宅ローンの返済状況の悪化により、損失が拡大し経営危機に陥ったのである。2008年9月、住宅公社2社に20兆円もの公的資金を投入し、政府の管理下に置くことが発表された。

この様に金融危機による損失額は拡大していった。パリバショック(2007年8月)の前の時点で、FRBが見積もった予想損失額は最大で約10兆円である。小さい金額ではないが、日本の不良債権処理損が100兆円ほどに上った事を考えれば、金融システム全体を揺るがすようなものではない。

 パリバショックの後になると、各機関が試算する予想損失額は20~30兆円まで拡大した。しかし実際の損失額は、その水準をはるかに超えて広がりを見せ、一向に落ち着く気配は見られなかった。そして、2009年2月時点での予想損失額は、イングランド銀行の推計では、260兆円に達した。

③スズキとヤマハ発動機へ影響

  先述の通り、金融危機が広がりを見せていた時期においても、両社は増収増益を維持してきた。ところが、2008年度に入る頃から、両社の売上高から推定される実体経済の方向性は曲がり角を迎えた様に思える。スズキの2008年9月の上半期連結売上高は2008年3月期の年間売上高に対して約48%にとどまり、ヤマハ発動機の2008年6月の上半期連結売上高も、2007年12月期の年間売上高の50%に1%程度達しなかった。

またスズキの2008年3月期有価証券報告書の業績概要において、サブプライム問

題が言及されている。この有価証券報告書が作成された2008年6月頃には、乗用車の販売という実体経済への懸念を、企業グループ全体として捉え始めた結果であろう。またスズキは、トップダウンの迅速な対応によって、数ある自動車メーカーの中で、今回の経済危機を連結ベースの赤字計上なしで乗り切ったことで注目された。すでにこの時点で、在庫調整などの対応が始められた可能性が高い。

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(5)リーマンショックと金融危機の顕在化

  ①リーマンブラザーズの破綻とAIG救済

 2008年9月、米国証券大手リーマンブラザーズと保険最大手のAIGの経営不安が表面化した。リーマンブラザーズは証券化商品の評価損で巨額の赤字に陥っており、すぐに資本を増強しなければならない状況だった。そして韓国の政府系金融機関と増資の交渉が行われたが、それが決裂した事が伝えられるとリーマンブラザーズ株は急落し、株式市場全体にも動揺が及んだ。

 その週末、財務省・ニューヨーク連銀・大手金融機関の幹部が集まって対応を協議し、リーマンブラザーズの救済合併の道が探られたが、日曜日までに交渉はまとまらなかった。候補先が政府の支援を求めたのに対して、政府がそれに応じなかったためだとされる。翌15日月曜日、全米第4位の巨大証券会社であり、100年の歴史をもつウォール街の名門企業リーマンブラザーズは、わずか数日の間に破綻した。これにより市場は大混乱に陥ったのである。

  

 もう1つの市場の疑心暗鬼の対象となった大手金融機関がAIGである。AIGは証券化商品への投資で損失を出していただけでなく、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ:社債などの信用リスクに対し保険の役割を果たすデリバティブ契約)でも大きな損失を抱えていた。

 AIGは全米最大手の保険会社である。もし破綻すれば、経済や社会への影響は計り知れない。連鎖的な金融機関の破たんが引き起こされる恐れも十分にあった。

リーマンブラザーズが破綻した翌16日、FRBがAIGに緊急融資するとともに、政府がAIGの経営権を取得し、管理下に置くことが発表された。リーマンブラザーズは消滅したが、AIGは米国政府に救済されたのである。

 ②金融危機の顕在化 

  リーマンブラザーズ破綻とAIG救済の翌週には、総額70億ドルに及ぶ公的資金投入を含めた包括的な金融安定化法案がまとめられた。しかし、2008年9月29日、全金融関係者が成立を信じて疑わなかったこの法案は、共和党議員の大量造反により下院で否決された。

 潰れるはずがないと思われていた大手金融機関リーマンブラザーズが潰れたことで、市場には不安心理が高まっていた。そして、合意されたはずの金融安定化法案が否決されたことで「もはやどんなことでも起こりうる」という恐怖感が市場を席巻した。

 金融安定化法案そのものは否決されるとすぐに修正協議が行われ、わずか2日後には上院で可決され、さらにその2日後には今度は2日後には下院でも可決されて成立した。最初に法案に反対した議員たちも、その影響のあまりの大きさに驚愕し、今度は賛成に回ったのである。しかし、本当の株価大暴落はここから始まったのである。

 10月8日には米英欧など世界の6中銀による緊急協調利下げが行われたが、これさえ関係なかった。異常なほどの信用収縮が急激に起こった事は、各種金融指標の推移からみて明らかであり、銀行間市場はほぼ完全に機能停止に陥った。

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 (6)実体経済への波及

 ①米国を中心とする実体経済への影響

  実体経済への影響も大きく、かつ即座に現れた。リーマンショックや金融安定化法案否決後の株価大暴落で、経営者や消費者の心理は一気に冷え込んだ。そして何よりも深刻だった事は、かつてないほどに急激に起きた信用収縮の影響である。高額商品の消費には急ブレーキがかかり、企業は人員削減を急ぎ、相次いで設備投資を先送りもしくは中止した。

 それまでも減少傾向をたどっていた米国自動車販売は、9月以降劇的な落ち込みを見せた(図表2参照)。既に減少期に入っていた雇用統計も、やはり9月以降に大量の失業者が出た事を示し、企業の景況感を示す指標も急激な落ち込みを記録した。

これらは、市場の崩壊による実体経済への影響が、在庫循環や設備投資循環とは比較にならないほど大きい事を物語っている

 ②日本の実体経済への波及

  日本の実体経済にも、同様な現象がほぼ時を同じくして現れた。国内の月別自動車販売台数は、リーマンショック直前の2008年8月から減少に転じ、対前年同月比でマイナスを続けた。そして2009年2月にはマイナス32.4%、同3月にはマイナス31.5%を記録した。この数字が一時的にもプラスに転ずるには2009年8月である。

 自動車の生産面への影響はさらに大きなものとなった。販売の急激な減少に伴って発生した過剰在庫の削減を行う必要にも迫られたからである。このため、2009年1~3月の国内自動車生産台数は、対前期比約50%マイナス、2009年通期で見ても対前年比マイナス30.9%となった。

 自動車メーカーの損益面では、更なる悪条件が発生した。為替レートが円高傾向となった事(図表4、5)である。日本の金融機関が今回の金融危機で被った損失は比較的軽微であったため、円が相対的に安全性の高い通貨とみなされた。また欧米金融当局が景気の急減速に伴って金利を低下させた事によって、もともと低金利の円に対する金利差が縮小し、円を売って外貨で運用する資金需要が急速に巻き戻されたためである。

 この結果、日本の自動車メーカー中、2009年1~3月迄の4半期で見ると、連結ベースの営業利益を確保したのは、スズキとダイハツ工業㈱の2社にとどまる事になった。

 

(7)その後の経過と対応状況

 ①金融危機の経過

  金融危機の最中、G7(先進国首脳会議)、新興国首脳も交えたG20による金融サミットなどが相次いで開催された。とくにG20金融サミットでは、健全な規制の拡大、国際連携の強化、保護主義の否定等がうたわれた。これは実効性のあるものではないが、1930年代の世界恐慌時には、保護主義の台頭が状況をさらに悪化させた事を踏まえて策定されたと思われる。これは今後の金融の枠組みが再構築されるに当たって、指針として意味を持つと期待される。

 また米国を中心とする金融当局は、金融機関の救済、金利の引き下げ等の対応を次々に

打ち出した。しかし危機は簡単には収まらなかった。米国株式市場が回復に転ずるのは、2009年3月、再燃したAIGの経営危機等に伴ってリーマンショック後の最安値を記録してから後のことである。

②スズキとヤマハ発動機への影響と対応

 日本の自動車産業に対する全体的影響は上記の通り深刻なものとなったが、これは浜松地域の輸送機器産業に対しても基本的に同様である。

 スズキに関しては、リーマンショック後に迎えた連結決算は2期連続減収となり、減収幅は合計約30%となった。また連結利益に関しても営業利益ベースで、直前の1400億円台が700億円台と約50%減少している(図表6)。

 図表6 スズキ㈱の連結利益(144期:2010年3月期)

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 またヤマハ発動機に関しては、業績に対する影響は更に大きなものとなり、同様に2期減収幅は約34%、連結営業利益はリーマンショック後2年目の2009年12月期で、600億円台のマイナスとなった。急激な需要の縮小が発生するまでは、数年間にわたって売上高の増加が続いてきたため、生産能力は各社一様に拡大されてきたと考えられる。このことが、結果として大きな需給ギャップを生みだし、円高の進行という環境要因の悪化も加わって企業業績に深刻な影響を与えた事は間違いないだろう。
 しかし両社の対応は迅速かつ広範なものであった。コストダウンの更なる徹底、流通在庫削減及び設備投資の凍結によるキャッシュフローの改善、金融危機の影響が軽微にとどまったアジア地域での生産拡大など、危機を克服する為のあらゆる施策が実行された。リーマンショックから3年目を迎える2010年度の四半期決算上では、両社とも連結決算ベースで明確な業績の改善傾向がみられる。


③地域経済への影響
  輸送機器産業は浜松地域で言えば、スズキ及びヤマハ発動機を頂点とする何層にもわたる下請企業の、階層構造によって成り立っている。リーマンショック後の生産・販売の縮小により、この両社でさえも上記(6)②の通り相当の悪条件が同時に重なる事態に直面した。そして階層構造を一次、二次、三次と進むに従って、外注業務の内製化により、さらに大きな生産量の縮小に直面する事になった。これに対しては、雇用調整助成金及び緊急融資等の政策的支援によって、当面の企業運営を続ける事が精いっぱいであったと思われる。浜松地域の有効求人倍率が2010年を通じて0.5倍前後で推移していることから見て、こうした状態は2011年初頭の現時点でも解消していないと考えられる。
 また、連結業績の悪化を比較的少なく食い止める事が出来たスズキでさえも、2010年3月期の単独損益計算書から推定される法人所得はほとんどプラスマイナスゼロ(数億円以下)まで減少していると思われる。こうした税収減の地域経済への波及は、どちらかと言えばこれから大きくなることも想定しなけらばならない。

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3.まとめ
 以上の通り、金融危機の発生から実体経済への波及過程を、浜松地域の輸送機器産業という視点を交えて検証してきた。この広範な環境変化による影響は、各企業・各個人のおかれた状況に依ってそれぞれ異なるものである。
 それでも最大公約数的に、今後の指針を立てる上で認識しておかなければならない教訓を挙げるとすれば、それは企業経営を中心とした経済活動全般における持続可能性という概念ではないだろうか。
 米国の大手金融機関が複数破綻した。また破綻寸前まで追い込まれた巨大金融機関・巨大企業もいくつかあった。ここに至った最大の要因は、一般化すれば企業経営・経済取引において、その持続可能性が相対的に軽視されたことと思われる。
 またこの概念は金融機関だけではなく、輸送機器産業の様な製造業にも同じように当てはまる。製品を販売している以上、その対象は生産体制や品質保持など製造業に特有な面もあれば、次世代の人材育成などどのような企業にも共通した側面もある。複雑な企業経営の在り方を単一の尺度で捉えることには無理があるが、企業の持続可能性という視点でその時その時の施策を見直すこと、こうした思考が企業経営の安定性を高める要件として不可欠だろう。

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 参考文献
  金融基礎力養成講座  日本実業出版社   田淵直也
  国際金融論講義    日本経済新聞出版社 深尾光洋
  これから10年外国為替はこう動く 国際通貨研究所 竹中正治 編
  米国の住宅ローン市場等について 国土交通省HP
    スズキ株式会社 有価証券報告書 事業報告書
  ヤマハ発動機株式会社 有価証券報告書 事業報告書

 

 

 発表者 :  藤田泰正、神村 秀和、村木則予、藤田良美、浅沼 宏和

 第76回 2011年1月23日(日) 9:30~12:00

  藤田 泰正

 

 

  神村 秀和 

人事システムとしての飲酒運転の取締り


神村秀和


1.はじめに
・コンプライアンスやCSR(企業の社会的責任)が重視
・飲酒運転に対する厳罰化・・社会的風潮
長期的なビジョンに立った上での、会社組織の健全な活動を促進させるというコーポレート・ガバナンス(企業統治)の一環
・経営の適正さ、健全性の向上と、経営のパフォーマンス、業績向上

※飲酒運転のような全ての社員が起こす可能性のある、極めて一般的でかつ、ありがちな不祥事に対して、なぜ懲戒解雇のような厳罰を課そうとするのか?

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2.会社と社員の力関係の不均衡
・飲酒運転という会社の活動以外の事実にその根拠を発しているにもかかわらず、会社全体の人事システムの一部として違反を犯した一社員を処分
→社員全体がその処分に参加することになる。

・会社という組織内の人事通達による一方的な決定、および周知徹底によって、飲酒運転によって罰せられる社員と、会社との力関係の不均衡が浮かび上がる。

・日常生活のプライベートな部分にまで会社の関与が及んでいるのだという強烈なインパクト
・会社と社員との力関係の大幅な不均衡が顕在化
・社員に対する会社の絶対的な優位性が担保される

・飲酒運転は誰もが身近で、ありがちな犯罪であり、また誰もが犯す可能性がある。
わかりやすい→ 一定の裁量による不透明な判断は排除される。

・低コストで社員を監視する方法(システム)として、会社と社員の力関係の不均衡を、社員に徹底的周知させる手段

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3.フーコーの支配の理論
・権力を外部からの強制や抑圧としてだけではなく、同時に主体の内部からも働く力として、複数の人間の間に成立する力の場として考えた。「監獄の誕生」

・支配権力がいかに自己の支配にふさわしい主体を形成していくか

・権力が時間の経過の中で自動的に作用し続けるため、支配される者に「常に監視されている」という永続的な自覚状態をうえつけるシステム
・建物とその配置のほかに、一切の物理的道具をも使わずに、圧倒的に不均衡な状態から、支配されるものに注がれる監視の目によって、支配される者の精神と身体との両方を拘束し、同時に支配される者の道徳性や生産性を向上させることを目的としている。

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4.フーコー理論と会社組織
1.身体を強調することによって人間の精神を支配する方式
・制服・作業服、髪型等への規制
・出勤及び休日、始業時刻、終業時刻、休憩時間等の管理

2.精神を規制し、個人の身体を支配する方式
・試験と昇進のシステム
社員は常に監視されていなくても、自発的に、手を抜かずに会社の目的に沿った行動を取り続ける。
   ・飲酒運転の取り締まりもこの一つ


5.むすび
・飲酒運転という行為自体を取り締まることが本来の目的ではない。
・会社が社員を処分する象徴的な因果関係を明らかにすることで、社員の精神から身体に働きかけるメカニズムを形成することが主眼。(なにをするとどうなるのか?)

・会社の活動とは無関係で誰にも被害が及ばない行動にも目を光らせている
・圧倒的な力関係を確保
・勤務時間外においてまでも自発的に会社の都合のいいように行動し続ける社員であることを強制する
・一切の手間と費用がかからない

 

  村木 則予

 

 

  藤田 良美

デザインによる組織の発展

藤田 良美

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はじめに
 本文は、デザインを企業・個人業の全ての人に利用してもらい、組織発展のためのひとつの方法になることを目的とする。デザインを外注する企業と受注するデザイナーという狭い枠だけではなく、デザインという単語の意味に関る機会のある人への提言である。さらに、デザインの意味を知りたいと考えている人にとっても、意義のある内容としたい。そのようなことから、現在の社会状況をふまえ大小を問わず全ての組織を対象として、デザインとは何か?という問いの答えになる項目を揃えた。デザインとは何か?と聞かれた時に「こういうものなのではないか」と、現状の生活や仕事の中から関連させて理解のできる機会となることを考えて、1.~5.の項目にまとめた。

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 1.のメディア・リテラシーは、デザインに触れる機会のある全ての人にとり欠かせない知識である。デザイナーは必須であり、広告をはじめ幅広い分野の知識を必要とする小売業者から広告部門で仕事を行なう組織人までに理解を得てもらうことにより、戦略的な仕事ができる。

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2.はアートとデザインの関係について論じる。デザイン史は、美術史の中の一部として考察すると理解が深まることから、本研究はアートと並列しながらデザインを伝える。

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3.のデザイン・マネジメントは、主としてデザイナーの仕事は企画と深い関係があり、経営を学ぶ必要があることを述べた。この項目から、デザイナーと関わる企業側もよいデザイナーを見分ける指針となる。

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4.は企業側のデザインに対する理解度を、企業訪問から得た独自のデータである。デザインに対する理解は高いとはいえないが、デザインに対して強い関心を持っていることが結果となった。

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5.ではデザインは環境問題と関係があることを述べた。

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 筆者は、20年余りグラフィックデザインの現場にデザイナーとして関わってきたが、デザインは各業界において一つの手段として必要なものであると判断している。辟易するほど聞かされてきたデザインの評価として「デザインは数字に表れない抽象的なものだから、厳しい予算の中に含むことができない」と扱われることである。アート・デザインの専門分野に携わってきた人間にとり、そうでない人に囲まれた中で孤独を痛感する一場面である。

 デザインの基本の理解のない人達へ、これらの言葉の表現への反論や説明は非常に困難である。デザインの意義は企画であり、白い紙にスタートさせるアイディアなのだから原点なのである。思考の原点であることから、デザインは言語を形状化するソフトのようなものだ。日本の都心でも地方都市でも、このような低いデザイン評価が顕著であるが、軽視してきたデザインを見直すことにより経済発展の新たな起爆剤になることをデザインの研究から感じている。
 これらを比較的理解している国として、私たちに馴染みの深い国として米国がある。米国では政治経済人がアートを理解し保護しているという基盤が、デザインの発展に繋がっている。日本は経済面では米国を見本としてきたが、米国のアートの擁護面は模倣してこなかった。また日本では、学術的に芸術の方面からより科学の方面からデザインをとらえる傾向がある。そのような方向性については疑問がないわけでもないが、デザインは確実にあらゆる分野に深い関係があることは実感している。
 専門家によるこのような一面の理解からと思われるが、静岡県の浜松市内においても10年ほど前からデザインの専門学校やデザイン科が設けられている大学が設立された。現状では、各分野のデザイナーを輩出しても受け入れる企業が少なく成功しているとはいえない。デザインの専門分野の設立より、全ての大学に各専門分野の必須科目にデザインを取り入れることが先決である。それにより企業・個人からデザインの理解が増し、デザインの重要性を評価した社会ができる。相当な年月を要するが、その機が熟した時点で、専門的な学校や大学を設立するべきなのではないか。

  アート・デザインの環境が整わない地方では、競争の激化する都内の芸大・美術大学・デザイン専門学校のデザイン科のレベルに達することは不可能である。そのため、地場を考慮し製造業の多い浜松市に必要とされるデザイナーを育成するのであれば、デザインの効果が期待できる。デザインの重要性が理解できていない地方の社会に、一般的なデザイナーの育成をしても、仕事経験の得られないデザイナーの予備軍が排出されていくだけである。
 さらにここ数年、デザイン科のある学校と企業との産学官研究の不慣れな点が目立つ。地元のデザイン科の学生に企業がデザインの仕事を社会経験として発注することがあるが、地元のデザイン事務所を窮地に落とすことになっている。今後、地元のデザイン事務所等とデザイン科の学生と企業が、共に連携しあうことにより仕事を生み出す方向となるように、それぞれがプラスになる取組も課題である。

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1. デザインとメディア・リテラシー
2.アートとデザイン
3.デザイン・マネジメント
4.企業における実地調査
5.環境問題とデザイン

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おわりに
 組織の規模を無制限として企業、学校、団体等を「組織」として考えたとき、それらの組織が効率よく機能するためには、デザインの力を企業戦略に意識していくことの重要性を、デザインの現場で筆者は長年痛感してきた。デザイナー対クライアントのように、デザインの専門知識は持たないがデザインの仕事を注文し、数種類の考案された中からそれを選択する権利のあるクライアントの立場。広告関係の仕事を依頼するクライアントの期待する、売上げなどの数字から企業ブランドの価値、CSR(企業の社会的責任)等、様々な要望がそこには存在する。

 それらの意味を理解し、要望に答えるのがデザイナーの仕事であるが、全てを背負うことはできない。その限界に、クライアントのデザインの認識力がある。これを伝えていくこともデザイナーの仕事の一つではあるが、デザインの概念において誤った観念などはデザイナーが啓蒙することは不可能である。その側面からデザインを捉えると、デザインの理解を高めてもらうために、デザインの専門家からクライアントが指導を受けてもらうこと、今後デザインに関わる可能性を持つ多くの大学生には教養課程においてデザインを学んでもらうことが理想となる。
 一つの事例としては、医者と患者の場合にもデザインの応用ができることである。医療現場においては無関係のように思われるデザインではあるが、デザインの意味の一部は利用することができる。その理由は、パソコンに患者の過去の病気、診察、治療の記録をそれぞれの科の医師が理解しやすい方法でソフトのデザインを変えることにより、医者はよりスムーズに日々の診察をすることができるからである。診察室においては、医者と患者の椅子の位置は短い時間で効率の高い会話ができるデザインにすること。患者の視界に入る背景には、患者に与えたい情報を盛り込むための空間デザインとして意識する方法など、様々なデザインの活躍の機会がある。病室のデザインが高度であれば、投薬料を押さえられること等が、研究結果で明示されている。
 アメリカのピッツバーグの病院で行われた調査では、日本国内において一般的な病室と類似した部屋で治療を受けた患者グループより、現代的で太陽光が差し込む洗練されたデザインの病室で治療を受けた患者の方が薬の投与量も少なく経過もよく退院が早かったのである。医者という高度な技術者がデザインの意味を理解していることにより、臨床の仕事の能率が上がることは確かなことである。このような事例のように、デザインの教育を受け、物事に対する判断がデザイン思考であるからこそ、このような効力がある。
 デザインが利用される場には、必ず人と人の姿がある。この意味から、人とパソコンである場合は、デザインの必要性は半分になる。デザインとは、人が行う行為であることからその意味が存在し、状況は人と人であることが基本となる。デザインの基礎的な概念を知識として得ることが、実社会の現場において役立つ基本知識となる。さらに、重要なことはデザイナーがクライアントなどの相手以上に高度なデザイン能力を持つことである。デザイン思考の才能だけではなく、デザイン・マネジメントや経営学の知識を保有することである。デザイナーが接することの多い総務部や経営者が持つ知識を共有することが、現在におけるデザイナーの基本であると考える。

 さらにデザイナーが保有すべき高度な力としては、1.において考察したメディア・リテラシーの正当な判断能力と、地球規模でデザインを捉えることのできる能力として、環境破壊を起こさないデザインを社会に提供できるための環境問題に対する知識と、国際社会で必要不可欠な語学力である。
 したがって、第一にデザイナーに必要なデザイン能力とは、国外と国内・国内の地区に求められている独自性のデザイン概念の理解である。第二にデザイナーが持つべき能力として重要視してきたデザイン・マネジメント、つまり経営学の知識、第三にメディア・リテラシーの知識、第四として地球規模でデザインを制作することのできる能力として環境問題・語学の知識である。
 企業インタビューでの成果の通り、多種に渡る企業はデザインに高い関心を示していたことから、今後は企業側へデザインの講座の企画を提示することが、デザイン活性化への一つの方法であると考えられる。

 

  浅沼 宏和  

ドラッカーのマネジメント論の実践構造-基本モデルから戦略計画まで


                               浅沼 宏和

1、ドラッカーはなぜ重要か?
 ドラッカーのマネジメント論は「組織・個人が成果をあげる方法」について体系的に説明するもので、半世紀を経た今でも現場で実際に使える基本原理を数多く教えてくれる。
体系が大きくて難解な面もあるが次のような点に注意すると理解しやすい。①一つの用語に複数の意味 ②同じ内容に複数の表現 ③広い意味・狭い意味の使い分け ④時代背景の違い

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2、組織が成果をあげる方法(経営戦略論)
 組織があげるべき成果、つまり最終目的は「顧客創造」にある。それは①顧客・市場 ②商品・サービス ③流通チャネル の3つの成果領域のバランスが取れることで達成される。簡単にいえばこの3つのバランスをとることがマーケティング、それを未来の視点から見ることがイノベーションとなる。マーケティング・イノベーションは企業が成果をあげるための2大機能である。
 成果の領域は資源(ヒト・モノ・カネ)の投入とその生産性(投入資源と成果の比率の最大化)という土台に支えられている。マーケティング・イノベーションは成果領域の他に土台までも含めた視点でもある。ドラッカーの経営戦略論はこのシンプルな構造を前提にして展開される。この構造を念頭にドラッカーの著作の数多くの原則を読み込んでいくと行動につなげやすくなる。

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 最重要経営資源は「ヒト」であり、時間と知識で構成されている。
時間は最大の制約条件であり、成果は時間の有効活用の結果である。
知識は情報を成果に変える能力のことで、独自のノウハウに該当する。この2つに注目することが必要。
またヒトが成果をあげるためには5つの要素(時間・貢献・強み・集中・意思決定)を具体的行動に反映させるよう習慣化するとよい。